2008年05月29日

主導権とは「場」の、そして「自分の人生」の主導権

下のエントリにturuさんのコメントが入り、うーむ、やはりそうとられてしまうよな、と思いつつ(いや別に不快だとか誤解だとかではなく、ちょっと十分ではない伝え方だったかなと)、慌ててちょっとリヴァイズ(つか言い訳)を試みる私。
はっ! これが「人に振り回されて右往左往」状態??

でもまあ冷静に考えてみれば私にリーダー的願望がないとは言えない。というか立場上どうしても人の前に立ってしゃべったり(歌ったり!)する機会も多いので、そういうときには文字通りその場をコントロールする役割が自分にそもそもあり、それがどうにも上手くいかないように思えて悩んでいるというのは真実だ。

だが下のエントリでイメージしているのは、むしろ「陰のリーダー(裏番??(^_^;))」状態。表だってその場を支配しているとかコントロールしているとか主導権を握っているとか誰も思いもしないのに、大勢としてはものごとを自分の望ましい方向に向けていくことができるし、他の人に支配されたり振り回されて右往左往はしないですむ…という。

他人を自分の思うとおりに「変える」という意味でもない。他人の意志なり心なりはきちんと尊重してとりたてて干渉はしない。

人を支配するのではなく、場を支配する、ということである。人に対しての主導権を握るのではなく、「場」にとっての主導権を持つ、という意味である。
つまり、「自分が自分の人生の主導権を握る」ということと言ってもいい。
だからそれ自体は「リーダー願望」とはむすびつかない。
むしろ、表だってリーダーになりたくない人にこそ必要なことではないかと思う。
また逆に、むやみにリーダー的になりたがる(表だって人を支配したがる…そのことによって自分の満足を求める)タイプの人にとっても重要な教訓かもしれない。

自分が流されず、自分が活きる、…「人のことをまず考える」ことこそが実は逆説的に、そのための最も有効な方法なのではないか、というのが主眼である。

無関係画像シリーズ きょうはVOWネタだい。萌え系です。
住居萌.jpg
posted by おーゆみこ at 13:20| Comment(5) | TrackBack(0) | ■日々つれづれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

”主導権を握る”コツ

ま、てなことでユルユルウダウダとしているわけであるが、とにかくまたなるべくひんぱんに書くことを再開したい…とは思っている。

で、ユルまった頭をふりしぼって…というかカラカラとマラカスのように振り振りしてぼんやり考えているうち、ふと、それなりに「これは真理では」と思えることがポッと浮かんできた。


「相手の望んでいること、したいことを読み取り、それをできる限り積極的に手助けすること…は、もしかするとその場のコントロール、主導権を"自分が"握るための秘訣では」

ということである。
まずはさしたる根拠もなく浮かんできたコンセプトにすぎないが。

少し前にしきりに書いた、「呼吸を合わせる」ということと、その後に書いた「理想の自分を常にイメージする」ということとのあたりにいろいろ考えを巡らせていたら、それらが急に融合した。

理想の自分、つまり、自分がありたい姿、そして自分がしたいこと…そういうことについてしっかりしたイメージがないままでは、相手に合わせるということがそのまま、ただ引きずられることになってしまう。
だがそれが確固としていれば、小さなことにいちいちとらわれることもなく、余裕を持って相手のことを「読む」こともできるだろう。

言うまでもなく、たとえば勝負事でも、達人は相手の心を読むものだ。自分のことで頭がいっぱいではそうはいかない。

それこそ合気道であれば、相手にそのまま攻撃もさせ、むしろその相手の力を利用して自分の力に変えていく。

直接の勝負事ではない人間関係でも同じようなことは言えるのではないか。

こちらが相手にとって(不自然ではなく)favorableな態度でいれば、相手もたぶん警戒心をゆるめ、つまりはこちらにとってはより「心の読みやすい」相手となる。
単純に考えても、自分を助けてくれた相手なら、必要なときにはお返しに手助けしてやりたいと思うのが人の情というものでもあろうし。
それに、自分の力を行使してそれができれば、自分にとっても相手にとっても、その力の意義や存在感が重みを増す。

他にもたぶん様々な要素があると思うのだが、こんなことからもそこそこ推測できるだろう、
「相手のためにと考え行動することが、むしろ自分がその場をコントロールする力を持つことにつながる」
という、まあ未だ一種の「直観」として捉えている命題の「真」であることが。

「我」をひっこめたり消したり、我を持つことに罪悪感を感じるのではなく、むしろしっかりした「我」を持った上で余裕を持って相手を見るのがいのだ。

「その場の主導権を握りたいから」そんなふうに努める、ということ自体にも、たぶん罪悪感など感じる必要はない。
ちゃんと自覚を持った人間が主導権を握るのは別に誰にとっても悪いことではないのだ。

よって、実践的な(?)戦略はこうなる。
「理想の自分、ありたい自分の姿をある程度は明確にイメージしそれを保持しつつも、人間関係においてはできるかぎり相手と呼吸を合わせ、積極的に相手の利になるように動いてやる」

実践的にトライしてみる価値はありそうだが如何。

無関係写真シリーズ 上のようなことを考えながら歩いていたらふと見つけた、井の頭池近くの神田川にいたカルガモチルドレン。

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posted by おーゆみこ at 01:09| Comment(3) | TrackBack(0) | ■極私的幸福論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月28日

スランプ?

なんだか気持ちが散漫な日々。
日記に書きたいこととか、英語関連でまとめておきたいこととか、ないわけではないし、さして忙しいとかいうこともないのだが、なんとなく書きそびれてしまう。

鬱、というわけでもまたない。なんだかダラランと平和な気分。
やる気が出ない、というのともなんか違う気がする、が、まあそれが一番近いのだろうか。
でもネガティブな気分ではなく、とりあえず「やらなければならないこと」が目の前にあればそれなりに機嫌良くやるのである。
でも、それ以上は「ま、いっか」みたいな気分でダラけてしまう。
あ、「やらなければならないこと」も切羽詰まってないとやらないなあ…。歯医者に行かなきゃ、とか台所の大掃除しなくちゃ、とか、そういうのはやっぱり「まいっか」組になってしまう。

その割に、またもやミシンで古くなった衣類をリフォームしたりとか、安く買った靴に細工して可愛くしてみたり、とかそういうことはなんだかけっこうせっせとやる。

結局のところ、形而上的なこと(ってほど高級なことを考えたことはないような気もするが)を考えたりするのが面倒で、ただ日常を、ダラケ気味ふやけ気味に送っている、と。

それがいいのか悪いのかよく分からん。
たまにはそういうときがあってもいいのかも、なんぞとも思うが(いや、たまにというよりけっこう今までも実はそんなんばっかりという説も)、やっぱりこれは本来の自分の求める姿ではないなあという焦りもちっとはある。

日記もぱったり止まったままで、「最高の自分をイメージして云々」という話題について「長くなるので別項」と書いたまま終わってしまった。実はその続きを自分の日記ソフトには書いているのだが、読み返してみてもさっぱり面白くない。

ん〜、ようするに、簡単に言えば、「書く」という行為についてスランプなのかも。で、それが自分なりにアイデンティティのような気もしているだけに、不安があるのかも
だらだら書くことにもそれなりにエネルギーがいるものなのだなあ、と改めて思ったり。書きたいことがないわけじゃないのに、それを文にするという行為に、我ながら意外なほどにエネルギー不足を感じる。
(ひょっとすると「ちりとてちん後遺症」かも。放映中に書きすぎてエネルギー使い果たした??)

てなことで、リハビリのつもりでまずはそういうよしなしごとを書いてみた。人生論とか幸福論とか大上段に構えるのに疲れているのかも…そういうときは日常のこまごまを書くのがいいのかも。
とりあえず書くという行為のしきいを低くしないとね。
posted by おーゆみこ at 15:16| Comment(2) | TrackBack(0) | ■日々つれづれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月02日

時が単純に「癒す」のではない

GWはなんか妙にヒマ。私自身は日曜と月曜がそもそも休みで、学校は「昭和の日」から1週間休みで、というわけで、27日からベタに休みなのである。
(非常勤で日給月給なので嬉しくも何ともない、それどころか来月末のやりくりに今から頭が痛い)。
翻訳の仕事が入ってくるはずなのだが、先方の職場がやはり休みに入っており、その間にネットのメンテナンスが実施されているらしく、メールが送れないという。それで原稿が受け取れず、やはり仕事に取りかかれない。

まあ懸案だった部屋の片付けとか本の整理とか、時間ができたらやろうと思っていたことをやっているが、そしてそれをやれる幸せをしみじみ噛みしめてはいるが、それでもやっぱり、「なんかないかな〜」と思ってしまう。

で、さっき、飲みに行きませんかという誘いがあって、二つ返事で飛びつく。近所の飲み屋だったが素晴らしく美味しいお酒とつまみに大満足。誘ってくれた人は、男厨という雑誌で特集されていたから是非来たかったのだというが、さすが取り上げられているだけのことはある。こういう店が近所にあるのは幸せ。その店についてはここ

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posted by おーゆみこ at 22:07| Comment(3) | TrackBack(0) | ■日々つれづれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする