2009年01月03日

おおらか家系×偏屈家系

2日は恒例の、町田の叔父宅での新年会。父方の叔父夫婦、その息子たち(私の従兄弟)の夫婦2組+子供たち、伯母夫婦、そして父と弟と私の、乳児含め総勢15人で賑やかだ。とりわけ従兄弟の子供たちがまだ幼くて元気いっぱい。
父方のS家では私が幼い頃にもこのような新年会をやっていたのだが、祖父は晩年に祖母と関係が悪化し、それにともなって父のきょうだい6人のうち、長兄次兄家族とそのほかのきょうだいとの仲も疎遠になってしまった(伯父が祖父を、叔父が祖母を引き取ったので)。それでその新年会もいつのまにか行われなくなったが、しばらくして再びきょうだいの下3人の家族で新年会が恒例となった。
従兄弟たちはファミリーツリー上では私と同世代のはずだが、年は20歳ぐらい離れているので気持ち的にはひとつ下世代のように感じてしまう。現行型の新年会が再開されたときはまだ彼らは幼児だったが、その彼らに子供ができて、言ってみれば私にとっては孫みたいなものである。本当は「はとこ」なのだけど。
はとこたちにとっては、じいじとばあば、そしてじいじとばあばのきょうだいたち、それから両親のいとこたち(私と弟)に囲まれての新年会なわけだが、考えてみると私が幼い頃はそんな存在には縁がなかった気がする。直接の祖父祖母、そしておじおばたちと従兄弟たちだけだったなあ。

大人たちにとっては久しぶりの幼い家族の存在にすっかりなごむ。従兄弟たちが結婚する前までは、それこそもう親などはそこそこどうでもいい年齢の「若い男の子」たちで、新年会にもちょっとしか顔を出さず、そのころは私や弟もあまり参加しなかったのでしばらくの間はこの新年会も少人数で寂しかったようだが、また一気に賑やかになり、叔父叔母はさぞかし嬉しいことだろう。だが私も弟も結局子供がいないので、父親には申し訳ないことをしたとこういうとき改めてつくづく思う。だがともあれ、父にとっても子供のない伯母たちにとっても、幼いはとこたちの存在が(この新年会ぐらいでしか顔を合わせないのだが)心の癒しになっているのだろうなと思う。

総じて父方のS家は、男性陣はおっとりのんびりして、それこそ「りらっクマ」よろしく「あくせくしたってはじまりませんぜ」という感じである。かたや、叔母と従兄弟たちのお嫁さんたちなど女性陣はみんなたくましくたのもしく、かつおおらかだ。そう、全体としてS家をひとことでいえば「おおらか」なのである。穏やかでまじめで、だが人に価値観を押しつけることもなく過度に競争心を見せることもない。彼らは私が離婚したと聞いてもさして驚きもしないし非難もしない。まあ、今の世の中よくあることだよな、と言う。子供がないことについても一言も探りを入れたり批判がましいことを言ったこともない。伯母たちは子供ができなかったし、叔父たちも結婚してずいぶん長い間できずに一時はあきらめかけていたようだから、おそらくそういうことを人に言われるのが自分たちも嫌だったのだろう。私のことも、意図的に作らないのかできないのかとも尋ねられたことはないが、それも聞かれたら傷つくこともあるだろうと配慮したのに違いないと思う。

そうやって穏やかに受容的に生きてきた結果、現在、平々凡々ではあれど傍目にも幸せな家族でいる。決して裕福ではなく、エレベーターもない小さな団地に長い間住んでいるし、海外旅行に行くでもなし、つましくしているのだと思うが、特別に困ることもなく平和そのもののようだ。叔父夫婦が70、父が75,伯母たちは80を越えているが、体は若干不自由になっているものの全くボケた気配もなく元気そのものである(北海道にいる長姉はもう90歳らしい)。
かたや、長兄次兄は2人とも東大を出て大企業に勤めていたが、2人とも70になるかならないかで亡くなってしまった。いわゆるエリートの生活というのはやっぱりストレスが多いのかもしれないなと思う。

昨年も同じことを書いたと思うが、こういう平和で受容的な家族親族を持った私は幸せ者だとつくづく思うのである。

だが、かたや母方N家はかなり対照的だ。実は昨年末、母の兄である伯父の訃報が父経由で届いた。母はその兄との二人きょうだいだったし、兄夫婦には子供がおらず、実質的にN家は「途絶えて」しまった形になる。

これは非難するのでもおとしめるのでももちろんないが、S家の「おおらかさ」に対して、N家はかなり「偏屈」系であった。あまり人付き合いを好まないのである。家族づきあいも疎遠だった。祖母は早くに亡くなってしまい、祖父は再婚したのだが、どうやらその再婚に家族はいい感情を持たなかったようだ。私は詳細を知らないが、祖母が存命中に祖父はすでにその人とつきあっていた、いわゆる「二号さん」のようなものだったのである。
そういう事情に加えて、そもそもが人付き合いを好まない傾向の一族であり、人数も少ないし、ということで、いろいろ事情はありながらもとりあえず賑やかだったS家と違ってN家として新年会のようなことをやった記憶はまるでない。祖父にとって唯一の孫であった私と弟をつれて、父は母が亡くなったあとも祖父をしばしば訪問はしたが。
とくに伯父夫婦と祖父は再婚で互いに態度が硬化し、祖母が存命中には私もときどき伯父に会った記憶があるが(一緒に旅行に行った写真も残っている)、祖母が亡くなってからは全く会う機会がなくなり、唯一会ったのは母が亡くなったときという状況だった。だがそういう局面に至ってもなお、祖父と伯父は口をきかなかった。

数年ほど前、20歳以上も若かった後妻さんのほうが先に病気で亡くなり、90歳になんなんとしていた祖父はひとりぼっちになった。だが偏屈は相変わらず、それどころか昂じたようで、区の民生委員の人が訪問しても追い返されてしまうらしく、困ってその民生委員の方が孫の私に電話してきたくらいだった(だが私自身もさして何もできなかった…)。それでついに伯父が祖父を引き取ることにしたのだが(それでも祖父は嫌がったらしい)、なんと祖父は伯父の家の玄関を入ったとたんに倒れ、そのまま病院に運ばれて、ほどなくして亡くなってしまった。最後まで彼らは和解しなかったのだ…。

かつて書いたことがあるが、祖父の葬式は伯父夫婦と父と私(弟はどうしても都合で立ち会えなかった)のたった4人が見送る寂しいものだった。そのひと月ほど前に後妻さんの葬式があったときは一応彼女のほうの親族はそこそこ集まって法要の席を設けていたのだが、祖父の葬式は4人がお骨を拾って、近所のそば屋で食事をして、それでお終い。

祖父は生前、「寂しい」なんてことは一言も言わなかった。だがさすがにまだ若い後妻さんが亡くなったときは棺にとりすがって泣いていた。
考えてみたら、まだ若い娘(私の母:42歳で死去)に先立たれ、伴侶にも2回も先立たれ、息子とは実質絶縁したままでいた…なんて、

……なんて寂しい、悲しい人生だったのだろう。

N家の人々は、プライドがとても高かった。意地悪では全くないのだが、おおらかにはなれなかった。
けれど彼らが「不幸」だったかどうかは分からない。彼らは彼らなりの「美学」を貫いていたのだろう。彼らなりに満足していたのかもしれない。
絶縁していた息子に引き取られることを結果的に拒絶し、唯一心を許していたらしい後妻さんの後を文字通り追うように亡くなった…というのは、彼的に筋が通っていたとも言える。
母親もやはりN家の人だった。自意識過剰でプライドが高かった。もちろん、「だから」早死にしたわけではないし、「だから」不幸だったわけもない。でも、本当のところ、どうだったのだろうな、とは思う。

夕べは帰りに弟の車で途中まで送ってもらい、その時に話したのだが、弟自身は自分にその「N家」の血を強く感じる、と言う。そう、どちらかというと彼は偏屈…というか、「我が道を行く」タイプで、本人曰く、「それなりに普通に社交的にふるまっているのも、社会でスムーズに生きていくための世俗的戦略であって、本来の自分はもっと人付き合いは好まない」そうである。だが「おおらかなS家」の中で育てられたために、N家系偏屈さがずいぶん薄まっているとも言う。だが基本的に、祖父や母や伯父の生き方、あり方は「分かる気がする」のだそうだ。

私自身は完璧にS家タイプ…と思ったが、よくよく考えてみれば、やはり混じっているN家の血のゆえに、そうはいっても自意識過剰で人見知りでいささか傲慢、という部分もたしかにあるのだ、と思った

平和なS家の傾向を慕わしく思いながら、考えてみると置かれている状況は孤高の(?)N家っぽくもあり、こりゃ困った、と思う。彼らは美学を貫いてそれはそれで良かったかもしれないが、私はそういうのはやっぱり嫌なのだ。

やっぱり今年の…というか私自身のライフワーク的にあるコンセプトの一つには「孤独感との戦い」があるかもしれない。年末の日記にも書いたが、孤独感は人を殺す。
孤独というものについての考察をこの間からいろいろしているがまだ文章化していない。
それを近々まとめてみたい。
posted by おーゆみこ at 17:57| Comment(3) | TrackBack(0) | ■日々つれづれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私も偏屈系ですが、N家祖父さん、筋金入りですね。気に入らない子供に引き取られるより死を選ぶとは。意思で生死を決めるなんて、ガンジス川で数十年修行したヨギにもできないこと。感銘しました。私もちょっとは見習って偏屈魂に磨きをかけるのを今年の抱負としたいと思います。(うそ)

Posted by カモメ at 2009年01月04日 02:17
「偏屈系」でも、自分がその生活が快適で『孤独感』を感じないのなら、「それでヨシっ!」なのでしょうね。(^^)


Posted by turu at 2009年01月04日 11:05
カモメさん
じいちゃんは、自分が入る予定の(おばあちゃんがすでに入っている)お墓のあるお寺とも、自説を曲げずに大げんかして(葬式仏教に堕落している!と罵倒したらしい)亡くなってから埋葬を断られ(!!)伯父夫婦がまたそこでも苦労したらしいです。ほんと筋金入りですが、それはそれで周囲は苦労するデスよ。
個人的には偏屈はオススメしませんが、人はホントにそれぞれ、ですね。

turuさん
それでもじいちゃんはやっぱりちょっとは寂しかったんだと思いますよ。後妻さんの棺にすがって泣くような姿を初めて見て、今でもそれを思い出すと私の方が泣けてきます。
それでも、人といろいろつきあうのは面倒で、ごくごくわずかの気心しれた人とだけいるほうがよかったのでしょうね。
それに、一番愛する人が亡くなったときは、いくらそれ以外の友人知人が多くてもあまり関係ないかもね…。
Posted by おーゆみこ at 2009年01月05日 10:41
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/112087196

この記事へのトラックバック