2006年05月10日

裸のF

人間の「素」はFなのだと思う。

性格類型のひとつの指標であるF−Tについてちょっと考えている。
詳しくはこちらを見てもらうとして、ここでごく簡単に言えば、なにかを判断するのに感情(F=feeling)を基準にするか思考(T=Thought)を基準にするかという違いである。だがF型がいわゆる意味での「感情的」で感情に流されるタイプ、とは言い切れないし、同様にT型が常に冷静で賢く、だがある意味「冷たい」人間だ、ということも言い切れない。あくまで、(無意識にでも)判断の基準をおくスタンスの違いなのである。
とはいえ、それは「厳密に言えば」ということであり、一般的にはF型は「感情的・柔らかい・温かい」、それに対しT型は「論理的・冷静冷徹」という印象ではあろう。Please understand Uでは、Fを「Tender(柔らかい)」Tを「Though(硬く丈夫)」という語で描写している。

統計的にはF型とT型はちょうど半々ぐらいになるらしい。もちろん、そんなにきっぱり分かれるのではなく、グラデーションで、純粋Fから純粋Tの間にはいろんな色合いがある。

その上で、私はすべての人間の「素」は「F」だと思う。



それは別にTの人間が必ずしも不自然に無理をしているという意味ではないし、また人間は生れつきはだれでもFだが後天的にTになるという意味でもない。そりゃ厳密には生まれたてでは思考らしい思考をするわけはないからTのわけはないが、ものごころついて人格がある程度はっきりしてくる頃にすでにT的である人はそうだろう。私などは意外にも幼いころはむしろTぽかったかもしれない。幼稚園や小学校低学年の担任の先生の評は決まって、「淡々としていて、あまり人を気にしない」というものだった。そのとおりだ、うちに友達が遊びにきても、彼らが勝手に私のおもちゃで遊んでいるのをよそに、自分はマイペースに本を読んでいた、と親もよく私について言っていた。けれどテレビドラマを見て登場人物にもらい泣きするということもよくからかわれたからやっぱりFかな。

それはさておき。
言ってみればF性とは、「裸のからだ」のようなものなのだと思う。それにたいしT性は種々の衣服なのだ。ただし必ずしも脱ぎ着が自由とは限らない。
生まれたときから、適切な衣服を着て、あるいは携えている人もいる。というかたいがいのひとは多かれ少なかれなにかしらは携えているが、厚着のひとも薄着のひともいるということだ。
後天的にも、なにかの加減で、裸の皮膚に傷を受け、それ以来、厚着をせずにはいられなくなった人もあろう。何度も傷を受けた皮膚そのものが硬く引きつってしまった人というのもいるだろう。ある部分はやたら厚着をしているのに、別の部分が無防備、なんてこともあるだろう。
しなやかで着脱も自在ながら、防護力は十分あるという上質の服を身につけられた幸運な人もいるだろう。だが不器用にやたらと鎧のようなものを着込み、自力は脱げず、というか脱ぐことも知らない人もいるだろう。脱げるけれど脱ぎたくない人もいるだろう。賢く見えるがっこいい衣装が自慢で、それゆえ暑くなって多少つらくても無理矢理着続ける人もいるだろう。

裸のFにしても、裸の価値を認めて好きで裸でいる人もいれば、適切な衣服を調達するすべを知らないまま来てしまった人もいるだろう。幸運にもぬくぬくした環境で育ってきてその必要がなかった人もいるだろう。もちろんそういう人が過酷な環境に接したらかなり辛いのだとは思うが。
しかし逆に、あえて裸を選んできたがゆえに、肌そのものが多少なりとも強くなり、少しぐらいの寒さなら大丈夫という人もいるだろう。ずっと厚着を続けたTのほうが、なにかの加減でその衣服がはぎとられたとき、ヤワな皮膚が露出して痛い想いをするかもしれない。

別に、だからみんなそのFという本質に目覚めるべきだ、裸になるべきだ!などと言うつもりは微塵もないし、逆に、ちゃんと服を着て厳しい環境に耐えられるよう備えるべきだと言うつもりもまたない。

ただ、すべての人間の中に(ある意味あたりまえだが)Fがある、とだけ言いたいのだ。
それを露出させることなくずっと過ごせる人もいるだろうが、望むと望まざる、あるいは意識するとしないとに関わらず、ポロっと出てしまうときだってあるかもしれない。

そして、人間同士が本当に「繋がる」のは、裸の皮膚を合わせるときしかない、と思う(もちろん比喩的な意味ですよ!)。裸の心と心が、たとえ一瞬であっても接触したときに、柔らかいゼリーのような心が震える。

私はバリバリのFだが、ある程度は選択的「F」である。つまり裸でいることの価値を認め、できるだけ裸で「いたい」のである。不格好であろうが、無防備であろうが、裸でいることに一定の美しさを感じるのだ(あくまで比喩ですよ!)。もちろん、素敵な衣服を着たときの格好良さ、別種の美しさを否定するものではないが。裸でいることで、別の裸の人間と触れ合うことの喜びが、「好き」なのである(たぶんバリTの人は「それがいかにも暑苦しくて嫌!」とか言うんだろうが)。美しい衣服を見事に着こなすこと、あるいは人がそうであることを見ることにも喜びはもちろんあるが。

選択的であれ、裸でいる以上は、傷つく危険は服を着ているより大きい。そういうとき、ある程度の服は着たいと思っているが、どうしても厚着にはなれない。
それに、傷もまた、生きている証、(ってリスカ少女じゃないんですから、ですが)という意識も少しはある(マゾ?)

ともあれ、自分は裸ないし薄着でいたいし、好むと好まざる、意識するしない、良し悪し、に関わらず、裸でいる人、薄着でいる人、厚着なのにたまたま脱げてしまった人、に私は常に関心があるのである。

できうるなら、羽衣のような軽くしなやかな薄もので、そこそこに防護力はあるようなものを、ときにはそれも自由に脱ぎ、また着しながら生きていきたいものである。


posted by おーゆみこ at 13:26| Comment(6) | TrackBack(0) | ■性格類型の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
実は私は母の御腹に居た間の記憶が有るのです。私が足を伸ばしますと、「痛い!」と御腹を擦る様子が分かりました。な訳で私は出来得る限り足を伸ばしてあげませんでした。これって「T」かしらん(笑)。で。私は薄着の宇宙服が理想かな? 羊水膜に似てるからかなぁ(謎)。
Posted by オマル at 2006年05月10日 21:28
こんばんは。オマルさんの生前の記憶(?)すごくオマルさんらしくて面白いですね。私は「物心ついた」時の記憶だと自分で思っていることがあって、それは、私自身が、肉体の中から二つの穴(目です)を通して外を見ている、という感覚です。子供の頃、私にとっては、この「肉体」そのものがずっと一つの鎧でありました。運動神経が鈍くて、不器用で、要領が悪くて、五体満足であるにもかかわらず、うまく操縦できないのです。
成長に従って、少しずつ魂と肉体がなじんできたけど、時々ぼろっと「素の魂」が出てきます。
私にとってFとは肉体という乗り物の操縦がいまいち下手な人で、Tとは逆に上手い人です。
Posted by るぴなす at 2006年05月14日 22:05
☆るぴなすさん☆>「素の魂」 ここの部分の意味が良く分かりません(笑)。
Posted by オマル at 2006年05月14日 22:22
おおオマルさん!>「素の魂」ってたしかによくわからないかもですね(*^^*)ゞエヘへ

o-yumikoさんの趣旨とは少しずれちゃったかもです。梨木香歩さんという作家の書いた「西の魔女が死んだ」という物語の中で、「魂は身体を得ることで物事を経験し、成長する」ということが出てくるんです。「身体は生まれてから死ぬまでのおつきあいだけれど、魂はもっと長い旅をずっとしていかねばならない」。私の「素の魂」の感覚は、この人の言っていることに近いのです。考え方や価値基準は生きてる時代や環境やで色々変わるんですけど、実は魂そのものの希求というのがそういうのをめくっていくとあって、みたいな。前に私評の方で「隠れN」の話が出たときに、私自身が思い浮かべたのはそういうことでした。
そんなに厚い仮面をかぶれるのか、とo-yumikoさんは問いかけされておられたけど、それはやっぱりあるんですよね。あると思うんです。
でも、みんながみんな裸がNなのかどうかは分からないです。   すいません、ヨコなコメントでした。
Posted by るぴなす at 2006年05月16日 22:22
☆るぴなすさん☆成る程。興味深い御話ですね。
Posted by オマル at 2006年05月17日 01:40
えーと、別掲示板のほうでもこの話がちょっと出て、そこで話ながら少し考えた結果、ちょっとだけ修正します。以下、別掲示板に書いたことそのままコピペ。
*****
よくよく考えてみると、この一連の論において、私はどうもF/Tという記号を少しズレて使ってきたかも。
「裸の姿がF」なのではないですね。「裸であることを選ぶ姿勢」が「F」なのです。
だからこそ裸の皮膚と衣服や鎧の喩えで合っているとは思うのですが、

「裸でいたい」
のがFで、
「服を着たい」
のがTですね。

裸でいたい、もしくは裸でいるしかない、という理由はたぶん人によっていろいろだし、同様に、服を着たいという理由もそれぞれでしょう。しかも、どんな服を着たいかってのも様々かもしれないですね。着脱の自由度もやっぱり様々で、基本的に始めに「希望的観測」のほうで書いた比喩で合ってると思いますが、
「裸=F」ではない、ということで修正します。
Posted by おーゆみこ at 2006年05月19日 00:17
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