2006年06月06日

自意識過剰全開のとある人

とある知人に、激しく自意識過剰(らしい)人がいる。もちろんここでは彼を特定できる情報は出さないし、彼の言動を具体的に述べ説明するつもりはない。だから読んでいる方には彼が本当に、あるいはどの程度そうであるか客観的に判断する材料を提供はできないが、彼を実際に知る多くの人の共通見解としては、人に自分をそれなりにひとかどのものとして認めてほしいという気持ちが人一倍強いのに、同時に強烈なコンプレックスをも持ち、最初から、「認めてほしいし認められてしかるべきであるが普通にしていたら認められるはずがない」という前提にもとづいて、一見したら実に珍妙で意味不明な行動をするのである。おまけに嫉妬や被害妄想も全開でときにうっとうしい。

自意識過剰な彼が、そのゆえに自らの自意識過剰であることに気付いてないわけはないとも思われるのだが、上記のような「認めてほしいが〜認められるわけがない」という心理まで他のあらかたの人間にが見え見えであることにも気付いてはいるのだろうか。あるいは本当はそうではないかもしれぬが、すくなくともそう見えてしまっていることに。
傲慢を百も承知で言えば、彼は(こういう場合に非常にありがちなごとく、本人が虚勢をはってほえればほえるほど)ある意味「痛々しい」と思われているのだがそれでいいのだろうか?
こういうことを私がここで書くことに抵抗を感じる方もいるかもしれないが、これは陰口ではない、なぜなら、私はとあるやりとりに絡んで、実際当の本人にも同様なことを直接(メールだが)言っているのである。大きなお世話とは思いつつ「そんなに主観的すぎて(妄想全開で)は自分が苦しいのではないですか?」と。それに対する彼の答えは、要約すれば
「分かっているのだがこれが自分なのだ、放っておいてくれ」
というようなことであった。

人の性格を「直そう」としているに等しいわけで、思い上がりもはなはだしいとはこちらもそれこそ分かっているので、「そうですか」と引き下がるしかない。

しかし彼を知っている共通の知人のひとりがこんなことを言った。
「彼は、俺も持っている自分の嫌な面、というか、認めたくない面をまるまる表に出しているから気になっちゃうんだよね」
そうなのである。自分が人に認められたいという思い、だがそれに対する不安や恐怖、そこに派生する嫉妬や不満。そういうのは、人間だれしも−−というとまたバリTさんあたりは「そんなのは私にはない」とか言いそうなので、だれしもとは言わず、少なからぬ人が、と言い換えるが−−持っているのだ。だがたいがいの人はそれをできるだけ露骨には出さないようにしている。自分に嘘をついているというより、客観的になろうと努力すれば、そういう自分の思いの方が「妄想」であり、実体のないものであることが少しは分かるからである。だがそれも完全にそうなるのは難しいので、たくさんの人が、多かれ少なかれ悶々としながら過ごしているのだ、と思う。
そういう自分の中にある悶々とした思い、否定したくとも否定しきれない、いや、否定していいものかどうかも迷うような思いを、彼は、その点では形容矛盾と思えるほど「素直に」出してしまう。

それがとても陽性で、文字通りの素直さで「みんなアタシを認めて〜〜!」と開けっぴろげに迫ってきて、そのゆえに苦笑されながらも愛される、という人も確かにいる。
だがやっぱり彼のはそうではなく、いくら「ミエミエ」であっても本人的には隠しおおせていると思っている…というか、そう思いこもうとしている、みたいに見える。だからついじれったく
「だから〜」
とばかり、何か言いたくなってしまうのだが、大きなお世話であることは間違いないのだった。
いや、というより、「陽性型」の人は、認められたいとストレートに言っても、それに伴う不安やコンプレックスや屈折、被害妄想はない。だから受けとめる方もすっきりしている(もっともそれが逆のタイプの人間の嫉妬をかき立てるという面はあるが)。だが彼が「ストレートに」出してくるのは、付随するネガティブな嫉妬や被害妄想の方だからうっとうしいのだ。

「イライラさせられる」という形ではあっても無視はできない。人に注目されたい彼、忘れられたくないという彼の願望はたしかに叶っているのである。

少なからぬ人が彼の存在に妙に心に波風を立てられるのは、上記のように、自分も持っている一面をクローズアップされてしまうからだ。それがやはり皆に疎まれる、ということが証明されると、やっぱり自分も注意深くそれを隠さなければ、と思う。いや「直さなければ」とさえ思う。そしてまた、知らぬ間に他の人に「ミエミエ」になっていたりしないだろうかと怯える。
かつ、自分の鏡とさえ思えるが故に、彼のことを徹頭徹尾嫌うことができない。傲慢を承知で言えば「救われて欲しい」とさえ思ってしまう。そうでないと自分が救われないような気がしてしまう。

だが、「俺はみんなに認められたい!」という欲望を「陽性」の形でガーンと打ち出し、その故に逆に、細かいことでどう見られようと気にならない、というタイプの(それはそれで結構別の極端な)とある人は彼について(上記のような私がすると)
「むっかつく〜!うざって〜。俺はぜったいヤツと話できね〜」
と言った。

ここにも私はF−T、あるいは受け身的発想か攻め手的発想かという新しい軸を考えてもいいが、とにかくその違いを見て、興味深く思っているのだ。
長くなるので続きはまた別項にて(むしろここまでは導入部、なのである。例の彼のことを云々するのが主眼ではないのだ)。


posted by おーゆみこ at 10:34| Comment(0) | TrackBack(0) | ■性格類型の話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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