2006年07月21日

ありがとう

仕事場の事務カウンターで、いろいろな資料に紛れて何気なくあった小冊子を手にしてみた。「ツキを呼ぶ魔法の言葉」と書いてある。マンガも交えて、著者である工学博士が、いろいろなことが上手くいかずいささかヤケ気味に旅に出た先で、おばあさんに「ありがとう」と「感謝します」を言えば人生はどんどんツイて上向きになるのだと教えられ、それを半信半疑ながら実行したら本当にどんどん人生が好転した、ということを書いてある。

このこと自体は、別に目新しいことではない。折に触れ、「感謝すること」、そしてそれを口に出して言うことが価値があるということは、幸福論やら人生論やらの著者が口を揃えて言うことだ。また、言霊のようなものがあって、そういう言葉は良い波動をもたらすけれど、人の悪口や汚い言葉は自分にこそ汚れをもたらす、ということも、宗教界も含めいろいろなところで言われる。

私自身も、今年の日記の冒頭で「今年のキーワードは『感謝』」と書いている。

「ありがとう」とボトルに書くと中の水の結晶配置が違って、美味しくなるのだという説もある。さすがにここまでは私も信じ込んだりはしない。ま、そもそも味音痴なのでよくわからん、ってのもあるけど。

だが、人間関係はたしかに、「ありがとう」「感謝します」を口に出すことで好転するであろう。そしてあらゆることの基盤は結局人間関係だ、と思っている私は、「ありがとう」「感謝します」が「人生そのもの」を好転させる、という「結論」に素直に納得できる。

パラパラとめくってみただけではあるが、その小冊子には
「ありがとう」はなにか嫌なことがあったときに言う。
「感謝します」はいいことがあったときに言うが、それのみならず、将来に対しての希望を述べるときにも使う。たとえば
「明日は晴れました。感謝します」
のように--とある。

これもとりたてて「目からウロコ」という考え方ではないが、シンプルにまとめられると「そうだよな」と思い、力があるような気がする。

いいことがあったときに「ありがとう」と言うのではあたりまえだ(これすら意識しないと完全にできるわけではないが)。嫌なことがあってもその嫌なことに対して、始めは無理にでも「ありがとう」と口に出して言う。すると、その嫌なことに内在する「結局はためになること」が顕現するのが早くなるのかもしれない。

小冊子内のマンガで表されていた部分で、主人公(である著者)は、嫌なことばかりあり、「なんでオレがこんな目に」とばかり思い、人と自分を比較しては自意識過剰に陥り、また他人のやることなすことがいちいち苛立ちの元になっていた。ところが、教えてもらって「ありがとう」を口にするようになり、そこにはまだ気持ちは必ずしも伴っていなかったが、しばらくして、他人のやることが気にならなくなり、怒る気持ちが少なくなっている自分にまず気づいた、と言う。

この部分は印象的だった。

****
この小冊子が職場に転がっていた(?)理由は分からない。誰のものであるかも聞かなかった。でもひょっとすると、社長が配っているのかもしれない。私が非常勤講師をしている英会話学校では、数年前から、社長がこの手の考え方に思い切り目覚めているようなのだ。社長は本社にいて、社員は全国に散らばる学校にいるから日頃顔を合わせるわけではない。ましてや非常勤、すなわちパートである私は接する機会は多くない。数年に1度の研修で話を聞くくらいだ(しかし採用された18年前から知っているし、当時は人事部長だった現社長は私のことをちゃんと覚えていてくれる)。以前はそんなことはなく、ただただ普通に生真面目な方だという印象だったが、数年前の研修で久しぶりに話を伺ったら、なにやら「気」の話をされ、「お疲れさま」などという言葉はいけない、言霊というものがあり、それを言ったら、「仕事は疲れるものだ」ということになってしまう、仕事できることに感謝しなければならないのだ、などとおっしゃるので、「お?」と思った。当時、社長は私と同じ西荻窪に住んでいて、さては「パワースポット」西荻窪のそのパワーが社長にも働いたか、なんぞと思っていた。
新卒の社員研修でも、基本的にこの手の考え方を伝えているらしい。だから社長がこの「ありがとう、と感謝します、は魔法の言葉」と主張する小冊子を各学校に配っていても不思議ではない。
あえて私はそのことを同僚たちに確かめはしなかったが。
この小冊子が「ふと私の目に留まった」偶然(?)が楽しいから。
(それにたしかに、この社長が率いる会社にも、昔に比べて良い変化があるように思えているのだが、そのことについてはまた機会があれば述べる)

皆さんもこの小冊子を読んでみてください、などと宣伝するつもりも私にはない。それをするとなんだか途端にうさんくさい色彩がつきまとう、と思えてしまう(これも一種の考えすぎ、素直でない、ってことなんだが)。

「出会う」ことが大事なのだ。
しかも「受け入れる」にはタイミングも問題だしね。

*****

その後しばらく、意識して「ありがとう」のことを考えている。

どこかのサイトで、ありがとうを感じで書くと「有り難う」だ、そうか、「難が有る」のだ、だからこの言葉を「嫌なことがあったときに言う」というのはあたっているのだ、などという論を展開している人もいたが、まあ「言霊」だし(^_^;)、そういうテキトウなアイマイなこともなくはないかもしれない。でももちろんこれは、有ることが難しい、ぐらいのことが有って、その「奇跡」(?)を思って感謝する、ということであろう。

小冊子の著者はイスラエルを旅行していてこのことを教えられた、というから、もともとの言葉自体は英語なんだろう、と思い、そこでふと、世界の諸言語における「ありがとう」に相当する言葉について考えてしまった。

まずは英語で、もちろんそれがThank youであることは(発音はともかくとして)日本の小学生だって知っている。thankという語は、「感謝」という名詞でもあるし「感謝する」という動詞でもある。だがそもそもこの語の根源的な意味は何か?とまで考え、語源を当たってみると、そもそもthink「考える」と同根で、思慮、思いやり/思いやる、ということが根源的な意味らしい。そこではハタと膝を打つ。
そう、感謝というのは、思慮と双子なのだ。相手に対する関心、と言ってもいい。自分の損得だけ考えている、というのは実は「考える」うちに入らない。自己保存は「本能」にすぎないのだ。それを超えて、自分をとりまく諸々のことに思いを致して初めて「考える」ことが成り立つ。他に思いを向け、関心を寄せて初めて、自分のことを外から見る視点を得られる。
自分1人だけで存在しているわけではない、織物が縦横に織りなす糸の交点のように、他との関わりにおいてのみ自分は存在しているのだということが分かる。そこで初めて、感謝という意識も出てくる可能性が生まれる。

人間は考える葦である、だから、人間は感謝する葦でもある、のだ。

*********

ドイツ語のdankenはthankと同じ語源らしい。

スペイン語のgraciasやイタリア語のgrache は英語で言えばgrace「神の恩寵」である。相手に神からの恩寵がありますように、という意味で使うのだろう。これは分かりやすい。
フランス語のmerciは? やはり英語で言うmercy「慈悲・神の恵み」と同じだろうと推測されるが、フランス語には詳しくないので分からない。英和辞典のmercyの語源がフランス語とされているのでたぶんそうだろうとは思う。

上記3語と親戚のはずのポルトガル語ではobligado(a)と言い、これは英語ではobliged、つまりoblige「強制的に〜させる」の受身形で、そもそもは「〜するよう義務づけられている」という意味になる。そこから転じて、相手に「恩義を受けている」という意味になるのだ。上記の各国語に比べるとなんだか堅苦しくよそよそしい感じがしなくもない。だがもっと見てみると、英和辞典の記述ではあるが、obligeの語源は「結びつける」という意味のラテン語らしい。相手と結びつくこと、とニュートラルに考えればいいかもしれない。

その他の言語についても調べてみたいと思うが、現時点では知識もないし手元で調べる手だてがないので後回し。
そうそう、中国語の謝謝、それから韓国語のカムサハムニダもそもそもカムサ=感謝なのだが、この謝という「字」を「漢語林」で調べてみると、「言」を「射」する、つまり言葉を放つ、あいさつするの意、とある。だが、さらにはシャという音が「捨」に通じ、「捨て去る・拒絶する」(例:謝絶)、はては「衰え、死ぬ」(例:新陳代謝)という意味も持つ、というから分からなくなる。

****
ともあれ、こんなことも含めつつ、「ありがとう」「感謝します」ということにしばらく意識を向けてみたいと思っている。

ところで、その小冊子にはさらに2つの「魔法の(?)言葉」が紹介されていた。
ひとつは
「ツイてる!」
というので、そう口に出していれば本当にツキがどんどん回ってくる、というのだ。

それからもうひとつ印象に残ったのは
「キャンセル、キャンセル」
という「おまじない」(?)

ついついネガティブなことを考えてしまったり、うっかり口に出してしまったりしたときに、そう唱えよ、というのだ。

私は、心配事やネガティブな考えに取り付かれて思いがどうどう巡りし始めると、最近は
「だからそれは、おいといて!」
と、そういう仕草をつけて口に出すようにしている。「魔法のように」効くかどうかはともかく、ドツボにはまらないように努めていて、それなりの効果はあるように思う。
「キャンセル、キャンセル」もそれと同じだろう。

少なくとも、言葉を発するには1円もかからないし、エネルギーを浪費する心配もない。損することはないので、安心して実践できるではないか。


posted by おーゆみこ at 13:22| Comment(8) | TrackBack(0) | ■しあわせであるために | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>ありがとうを感じで書くと「有り難う」だ、

「感じ」で無く「漢字」ですよね?

私は「有り難う・有り難い」の「難(かた)」を「難(なん)」で想像したことは、無かったです(笑)。「ありがとう」も「さようなら」も長文の一部じゃないのかなぁ(謎)。
Posted by オマル at 2006年07月21日 14:32
はは、そうです。「漢字」ですね。

有り難うはもちろん、「有り難いことでございます」とかなんでしょうね。さようならは「左様ならばこれにて失礼」とかなんとかそういう文の一部なのでしょう。
Posted by おーゆみこ at 2006年07月21日 17:26
ふふふ、畠中恵さんの本を読み終えて、幸せな気持ちでこちらにおじゃましたら、ステキな言葉があったので、言わせていただきます。
 ありがとうございます。
 やっぱり、いろいろ、それなりに問題を抱えながら毎日を過ごしていますが、こんなふうにおーゆみこさんの言葉で励まされる事に感謝します。 今の素直な気持ちです。
Posted by そのこ at 2006年07月21日 19:43
>さようならは「左様ならばこれにて失礼」

( ̄  ̄)(_ _)うんうん 私も其の様に思います。「有り難い・有り難い」は「思ってもおりませんでした」の謙虚さからでしょうか。有り得るなんて、想定外で有ったとか(謎)。
Posted by オマル at 2006年07月22日 00:38
>さようならは「左様ならばこれにて失礼」

( ̄  ̄)(_ _)うんうん 私も其の様に思います。「有り難い・有り難い」は「思ってもおりませんでした」の謙虚さからでしょうか。有り得るなんて、想定外で有ったとか(謎)。語源は難しいですね。
Posted by オマル at 2006年07月22日 00:38
ありゃりゃ。エコー突っ込みしてもうた。((^┰^))ゞ
Posted by オマル at 2006年07月22日 00:40
ぜんっぜん話がそれて申し訳ありませんが、朝鮮語の「カムサ=感謝」とか「アンニョン=安寧」とか、発音こそ違えど漢字圏の日本人は「なるほど」と思えるのに、もう半島の若い子は全くわからなくなっちゃってるのが勿体ないなといつも思います。
既に自分の名前の漢字表記も知らない人が珍しくないらしい、、、。
Posted by Nikita at 2006年07月23日 21:33
>もう半島の若い子は全くわからなくなっちゃってるのが勿体ないなといつも思います。

( ̄  ̄)(_ _)うんうん 此の辺は国内でも、意見が二分化とか。漢字の多い新聞。漢字とハングル文字が半々の新聞。ハングル文字オンリーの新聞。漢字反対派の人達の意見は「漢字は外国語の文字だから」だそうです。漢字は素晴らしい象形文字なのに。
Posted by オマル at 2006年07月24日 01:00
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