2007年01月27日

評価される「権利」

私は教育現場の実状など知らないから、「知りもしないで」という批判は仕方がない。ただ、なんでも「現状」から発想するしかないとは言えない。
あるいは、「理想主義的すぎて現実的でない」ことを多分私は言っているのだろう、まさに「机上の空論」である。だが、だからこそ見えることもあるのでは、と思う(本当に見えているかどうかはともかく)。

現状・実状にがんじがらめになっている立場からは、それをまず前提として少しずつ変化させていくことしかできない。いや、もちろん、たとえ理想主義的な考えを持っていたとしてもそうだろう。だが理想主義の示せるものは、本当はどっちの方角に行ったらいいのか、ということだ。現実は、目の前にある茨のやぶを切り開かなければどこにも進めない。だがちょっとまって、どっちのやぶを切り開こうとしているの? 本当にそっちでいいの?もしかしたら、ちょっと戻ってみた方がよいってことだってあるかもしれないじゃない? ともあれ前に進むしかない、って考えも疑ってみた方がいいんじゃない?

簡単に、手垢の付いた言葉で言ってしまえば、「理念」なき改革は小手先のものでしかない、ということだ。だが民主主義の世の中で、もちろんいきなりな「革命」は起こせやしない。それに、その「理念」が絶対的に正しいとはだれも証明できない。
だが理念を語り続けなければならないのである。
…なんて偉そうに言ってみますが、私ごときがこんなところで理念もどきを書き散らかしても屁の突っ張りにもならんのですがね。

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さて「評価される義務はない」と書いたが、すると、かつて「流行って」バカにされた、たとえば運動会でも徒競走をやらないとかやっても順位をつけずにみんなでおててつないでゴール、だとか、そういうことを思い出す。

だが、そういうことではない。
評価される義務はないが、「評価される権利」はあるのだ。こんなことばっかり書くと、「権利権利ばかり主張して、義務をなおざりにする戦後教育の悪弊」とかまた言われそうだが…。

徒競走が得意な子がそれを評価されるのは大いによいことである。作文が得意な子がそれを評価されるのも、歌の上手い子がそれを評価されるのも、はげみになる。評価というものがモチベーションになる、というのは否定しない。
問題は「なんでもかんでも」評価しなければならない、というところにある。しかも、原則として生徒や学生の全員を評価し、1位からビリまで序列をつけなければならないというシバリだ。

いっそエントリー制にしてしまえばいいではないか。その上で「どんどん評価する」。
音楽のテストも、漢字のテストも、算数のテストも、徒競走なども、挑戦したい子だけがやればいい。コンクールみたいにしてしまう。子どもの数が少ないなら、地域の数校がまとまって実施すればいい。いろいろな媒体を用いれば、過疎地にある学校だって参加できる。何にも参加できない子が傷つくという説もあるが、全員をベタに評価する今の形式であってもその場合は同じである。どれかに集中すればよいのだから、どんな子にも参加の余地はある。そんなことに関わらずに主要教科の「受験勉強」をしたいという子にはそうさせておけばいい。

それとあとは単に達成率に評価を与える要素も加味する。本を10冊読んだなら評価する。作文を書けばまず書いたことを評価する。掃除をさぼらなければ評価する。

……でもまあ、やはり、いわゆる主要教科のテストの点や偏差値で人生全体の勝ち負けが決められてしまうような「現状」では、無理なんだろうな…。


posted by おーゆみこ at 00:00| Comment(2) | TrackBack(0) | ■なんだそりゃ? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
あー、なるほど、「エントリー制」って言うのは悪くないかも。
で、中学校までなら、テストは先生と生徒(と、保護者もかな?)の双方が、習熟度を把握して次の授業へフィードバックしていくためにも全員が受けるとして、それにたいして、順位発表を行うとか、そういう部分だけをエントリー制にするってのがいいかも。
ま、実際の「業務」として考えると、先生側の手間が増える事になるから、現場では採用しにくいと思うけど。なにかしら変えていこうと思ったら、このぐらい極端なアイデアを出して行かないとね。 「アイデア」を「運用するとしたらどうするか」という段階で、現場を良く知る当事者が討議したらいいんじゃないかと。
Posted by きの@仕事しなきゃ at 2007年01月29日 11:59
習熟ということについてもちょっと疑問点はあるんだけど、それはまた後日書くとして、私は、習熟度を測る目的なら、子供たちの大好きなテレビゲームを応用して導入してしまえばよかとではないかと思うんですよ。
実際、そういう研究はきっとされているだろうし、なんかで読んだ記憶もある。
それをもういっそ学校に全部専用機械を導入して、どの科目もみんな工夫してゲーム仕立てにしたシステムを専門家に開発してもらって、ステージクリア(一定の習熟度が確認された状態。もちろん瞬発力等々とは関係なくね)したらなんか楽しいことが起こるとか。テストを受けるのがタノシー!頑張ってクリアしたい!と子供たちが思ったらシメシメ。テストを受けるのは子供たちが好きな時間にやればいいとかにして。
まあそんな凝ったゲームにしなくても、コンピュータでテストができるシステムが導入されれば教師の負担は減りそう。
英語なんかでは、TOEICの簡易版であるCASECというテストがコンピュータで30分ぐらいでできるんだよね。1問解いて、答えが合っていれば次はちょっと難しめの問題が出、間違えたら少し易しめの問題になる、という風に、どんなレベルでもストレス最小限で受けられるシステムになっているみたい。

すべての学校にコンピュータで子供たちが勝手にテストを受けるシステムを導入するとなると、もちろん、予算とか技術的な点ですぐには無理かもしれないけど、決して荒唐無稽な話ではないよね。
(でも学習自体まではコンピュータに頼りすぎるとなにか弊害があるかもしれないから、それはナシで)
Posted by おーゆみこ at 2007年01月29日 21:46
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