2007年02月08日

少子化・高齢化バンザイ(?)

生物としての人間にとっては、「2人の人間が2人以上の子どもを再生産する」のが種としては望ましい状態だ、と書いたが、もはや人間は、「種としての」望ましい姿を云々する権利はないのでは、とさえ思うことがある。

そらこさんもお書きのように、「少子化」は、地球の環境にとっては悪いことではないと思う。人間はこの地球の環境には圧倒的に害悪を及ぼす存在で、害虫並みであり、仮に創造主がいたとすれば「駆除」したい存在ではなかろうか。
(造物主、と言っても必ずしも「神」を考えているわけではなく、時折マンガなどで使われるモチーフと思うが、地球全体が、研究室で生物を培養するための培養基に重なり、研究者が「あ〜、なんかへんなのが増えすぎて培養基がめちゃくちゃだ、こいつら取り除かなきゃ…」などとつぶやいている、そんなイメージ)

しかも大きな害悪をなすのは、いわゆる先進国に住む人々である。いわゆる途上国は、貧しいにも関わらず子どもをどんどん産んでしまい、幼くして死んでしまったり、悲惨な生活になっていたりという状況になっていて、それはそれで別の問題だが、彼らはまだ、地球にとっての「害虫」なわけではない。
さっきちらっと見たテレビ番組でやっていたが、日本人ひとりあたりが年間に消費する電力は、エチオピア人ひとりあたりの200倍以上、らしい。もちろん単純な比較では語れないとしても、資源の食いつぶしぶりが桁違いであることは間違いない。

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単純に考えて、2人が2人を再生産すれば人口は横這いだが、同時に私たちは「できるだけ死なない」ための努力もしているわけで、総人口はわずかながら上がっても不思議はない。2人以上産めよ増やせよ、とやれば、人口は増えていく。だが、そうやって無限に人口を増やしていって、この地球は本当にそれを支えてくれるのか? 
実は、もはや、破綻しているのではないのか?

先進国の経済問題として考えれば、たしかに、少子化は問題であろう。この恵まれた豊かさを維持していけないというわけである。若い世代に負担がかかってくる、というのである。
だが、もしかすると、経済的にだってこの社会は少し縮小してしかるべきなのではないのか。経済「成長」が望ましいことであるという命題自体疑ってかかる必要がある。

もちろん、個人個人は、経済が縮小していくのは辛い。私だって、なんとかもう少し豊かになれないかといつも思っているのだ。
だが、このまま先進国に住む一握りの人々だけが既得豊かさを必死になって維持している…というか、手放すまいとしている、というのが果たしてあるべき姿なのかどうか、分からない。

さっき見たそのテレビ番組(TBS「1秒の世界2」)では、カンボジアのゴミ捨て場(普通の街のゴミ捨て場ではなく、夢の島のような廃棄場)でダイオキシンにまみれながらゴミをあさって生きる子供たちの姿などが映し出された。
そして一方、
 「世界では、1秒間に405万円のお金が戦争に使われている」「日本では、1秒間に6970円分のコンビニ弁当が捨てられている」
のだそうである。
(しかもそんな豊かなはずの社会にあって、私たちは必ずしも完全に幸せだと感じていない。自殺したり心を病んだりする人の多さよ)

子どもを産み育てることは、たしかに、大いなる喜びであり、それを望むのは「健全」に違いない。生物としてあたりまえのことを望んでいるとしたら、それをできるかぎり実現させるようにするのは当然のことと思う。
だがいっぽうで、不妊の人も増えているようだし、またあえて子どもを望む気にならないという人もいる、それは決して、人間として、不自然なことではないのでは、とも思う。むしろ、、種全体としてバランスをとろうとしているのだ、と思えるのだ。

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「高齢化」したからと言って全員がそろってヨレヨレしてしまうわけではない。逆に、若いからと言ってみんながみんな頑健なわけでもない。
たとえば年齢のような条件でなにかを峻別するのは、一見「公平」なようで公平でないとも思う。
ほんとうは、子どもとか老人とかにあまり関わらず、丈夫なものがより弱いものを補い助けながら社会が機能していけばいいのだと思う。
それにしても、大きな社会全体ではその目配りが難しい。小さな村でもあればそうできるのに、とも思う。だからやっぱり、人は多すぎるのである。


posted by おーゆみこ at 00:03| Comment(0) | TrackBack(0) | ■なんだそりゃ? | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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