2014年11月15日

鬱病のときの私…「別人28号」!

あれ?11月15日ってなんだっけ?
なんかひっかかる日付けだなあ?
……としばらく思っていたが、はっと気づいた。4年前、「オトコに捨てられた」日だった。15年も一緒に暮らしてた奴が若い女に走りやがったことが発覚した日だった。それが私が鬱病になった直接のきっかけ。私にとっての「大震災」。忘れもしない……のはずだったが、殆ど忘れてた…(^^;;(^^;;(^^;;

でもこの機会に、ちょっとまとめて、鬱病だったときのことを書いておこう。
どうしてそんな酷くなったのかという理由や状況については今日は割愛。「症状」?だけ書く。

ともあれ、孤独になり、ネガティヴ思考にどっぷりガッツリで、マジで心身に変調をきたした。

食べられなくなり、眠れなくなった。常に胸に鉛が入っているように苦しかった。ないない尽くしの私の人生で唯一あったはずの健康すら失われつつあったのである。

精神状態は一言で言えば「不安」。寂しいとか悲しいとかもあるが、次第にそういう「感情」も乏しくなり、ただひたすら不安。

自分の状態が全くコントロールできないのが不思議ですらあった。なんだこれ?私はどうしちゃったの?

何一つ楽しくなかった。好きだったはずのことも全く心が動かない。そんな自分がまた不安。

鬱病に典型的と言われている日内変動。朝が最悪なのである。夜は結構平気になる。少し感情も戻り、前向きな気分や楽しい気分がかすかに感じられたりする。だから、もう鬱病治ったのかも?と思うが、一眠りして翌朝目覚めるとまた胸に鉛が戻っている。
本当に不思議だった。それを繰り返すから、自分で夜のうちに「今度こそ、今度こそ、今の比較的いい気分、安定した気分が明日の朝も続くように、しっかり覚えておこう、大丈夫、大丈夫だよ、この感じなら!」と言い聞かせるのだが、数時間眠って目覚めると嘘のようにまた落ちている。本当に、どうしちゃったの私?と思った。理性で考えてもまるで効かない。

そのうち朝、寝覚めたまさにその瞬間にドキン!とひとつ動悸を感じ、それが合図であるかのように身体がかーっと熱くなったり、胃がムカムカしたりし始めた。更年期というのもあったのだろう。気分も体調も絶賛大不調の朝。

もはや、夜寝るのが怖かった。せっかくのマシな気分が、朝は台無しになる。台無しどころか、死にそうな気分。夜の安定した気分の時は実感できないくらいの最悪の気分。それを味わうのはもう嫌。だから眠りたくないし、そもそもなかなか眠れない。

夜の気分はマシと書いたが、その「マシ」な夜が始まる?時間もどんどん遅くなった。つまりマシな時間がどんどん短くなった。ようやく12時頃にマシな気分が来て、眠りたくないけど眠らないと仕事にも差し支えるし…。1日のうちマシなのは2〜3時間であとは眠っている時間、それ以外は地獄…。

「朝の来ない夜はない」という、普通ならどん底状態を励ますフレーズがもう笑い話でしかなかった。朝なんか来ないでいい!

そして一番ひどい時は、不安が募り過ぎ、決まった通勤路以外のところへ行けなくなった。なぜか分からない(今となってはその感覚を思い出せない)が、よそへ行くと不安でいてもたってもいられなくなるのだ。パニック状態に近い。

身体もしんどく、仕事以外のときはまるで「寝た切り」になった。椅子にも座っていられない。とはいえ横になっていても落ち着かず、ベットの上で七転八倒した。どこかが痛いとかはまるでないのに、安静にもしていられない。

とにかく一番酷いときの私は、仕事以外のときはほぼベッドで輾転反側しているばかりだったのである。

どん底の時は全く食べられなくなった。初期の頃はそれでもなんとか食べていたのに、最悪期は本当になにも受け付けず、ゼリー飲料が精一杯。つまりは「食べる楽しみ」さえ失われた状態。「寝たきり」でも寂しいから常にテレビをつけたままにしているが、とくに昼間はテレビは料理番組グルメ番組、旅番組でも食べるシーン多々、とにかく食べてばかりいる。そのどれもが全く美味しそうに思えない。苦痛でしかなかったが、テレビを消すのも寂しい。

さすがにこれでは死にそうだと思って、人に勧められて点滴でもしてもらえないかと内科に行ったが、特に胃腸に変調がなくて「治療」にはならない、点滴は結局ポカリスエットと変わらないよ、と言われて断念。体重はひと月足らずで一気に10kg減った。もとが太りすぎとはいえ、この激減で体力が持つはずもない。

それでも仕事には辛うじて行った、行かなければ日干しである。非常勤つまりはパートの私は働かなければ一銭ももらえない。有給も(制度としてはわずかにあるが)ないも同然。そして誰も養ってくれない。蓄えもない。仕方がない。
幸い仕事自体がストレスのもとになっていたわけではなかった(仕事が原因で鬱になった人は大変だろう)のでなんとかなるのだが、それでも辛かった。仕事柄、嘘でも笑顔を見せなければならない。ジョークの一つも飛ばさなければならない。笑顔はともかく、ジョークはかなり無理だった。なんとか決められたテキストをこなすのが精一杯。生徒さんが近況を楽しそうにしゃべるのを聞くときはOh, that's good!とか笑顔で言うのだが、内心は苦痛で仕方がなかった。羨ましくて…。

だいたい頭が全く働かず、英語もよく分からない(^_^;(^_^;。薬の副作用だったのだと思うが、口が渇き、文字通り口も回らない。しゃべれない。

当時、講師でまだTOEIC950点以上取っていないものは、できるだけ早く取得するように、という通達が本部から来た。目の前が真っ暗になった。そのころは目もなんだかよく見えず、細かい字を読むことが難しかった。集中力は皆無だし、当時実際TOEIC受けていたら、それまでに取得していた920点にも届かなかっただろう。下手したら700点とか? まじで首になるかもしれないと怯えた。幸い実際には強制はされなかったのでやりすごしていたのだが…。

授業の合間の時間も辛かった。スケジュールによって1時間とか2時間とか間が空いてしまうことがあるのだが、その時間を適当にやり過ごすことができない。家にいればやっぱりベッドに横になっているところだが、学校ではそれも無理。やることもやりたいこともないが、病的な(てか完全に病気の)不安状態で、じっと座ってもいられず、まるで動物園のシロクマのように部屋の中をうろうろうろうろ。叫び出しそうだった。まじで救急車を呼んでもらいたいと思うほど動悸が激しくなったりした。だからそういう空き時間があるスケジュールの時はそもそも絶望的な気分になっていた(とはいえほぼ四六時中絶望的だったのではあるが(^_^;)

やっとこさその日の授業を終えた午後9時、ほんの一瞬ほっとしても、すぐに「でもこれから帰っても何一つ楽しいことはない。仕事が終わってほっとしてもなんにもならない…」というとてつもない虚無がおそってくるのが常だった。何一つ楽しくない。辛い時間の後にまた別の辛い孤独な時間が来るだけ。延々とその繰り返し。これは本当に地獄のようだった。

そんなていたらくで、その頃私に習った生徒さんには申し訳なかったと思う。けれど以前から長く受講している生徒さんたちも、「全然気づかなかった」と言うので、我ながら頑張ったようではある。

不思議なことに、仕事は減った。不思議ではなくある意味当たり前だろうが、別にレギュラーのクラスの生徒さんが減ったわけではないのである。プライベートクラスが入らない。私の調子が云々ではなく、学校自体に日本人教師とのプライベートレッスンを求める初心者の来訪が少なかったようだ。もっとも当時のマネージャーや主任教師も配慮していてくれたのかもしれない、彼らは私の状況をある程度理解していてくれたから。

でもやはり不思議だが、翻訳の仕事も来なかった。翻訳の仕事を依頼してくれる人たちは鬱病が云々とか全然知らなかったはずだから、そのせいではない。

そのおかげで収入が減って不安はいや増すばかりではあったが、実際仕事がもっとあったら本格的に潰れていた可能性が大。翻訳なんか上手くできたとは思えない。だから今から思えばまだ有り難いことだったのだ(天使がコントロールしてくれていたと信じている)。しかし収入面の不安を考え、自分で仕事を開拓しなければ、と当時は思い、だがとてもじゃないが新しい仕事を求める活動などできるとは思えず、ますます暗澹たる気分になっていた(しつこいようだが、基本的にずっと四六時中「暗澹」ではあったのだが)。

それほどに心身不調だったが、最悪時数週間を除いて、ジムには通い続けた。身体を動かしているときが唯一、何も考えず、不安も少なくてすむ時間だったのだ。けれどヨガのクラスなどで、最後に簡単な瞑想的な時間があり、締めにはインストラクターが決まって「クラスで得た新たなエネルギーで、また明日からも素敵な時間を!」と言うのだが、それがまた私にはむなしく響くばかりだった。
「素敵な時間、か…。そんなもの私にはない…」

お酒を飲んでも酔わないので、むしろお酒に走ることがなかったのは今から思えば幸いだったが、気が紛れる時間もなかったわけである。

孤独感が一番の元凶なので、そんな状態でも機会があれば、人との集まりに出かけていこうとがんばったが、上に書いたように、いつものルートをはずれるととてつもなく不安に襲われるし、結局行った先でも鬱々としてやはり楽しい気分にはなれもせず、食べられないからその点でもつまらないし、飲んでも酔わないし…。
けど一人で家にいるのも寂しい。
引き裂かれる思い。

元々体力はあったらしいのが幸いではあった。こんなにも状態が悪いけれど、身体だけは動くのである。不安が強すぎてしんどくはなるが、本当の意味で寝たきりになるわけではなかった。けれどその分精神的葛藤は強かったかもしれない。

冗談ではなく死ぬことを考えた。生きている意味が全く分からなかった。辛いだけだった。よくなるとも思えなかったし、それどころかどんどん歳を取って悪くなる一方としか考えられなかった。真っ暗闇で出口は見えなかった。もちろん死ぬのも怖かったヘタレだから実行できなかったけど、もともとストイックな人やむしろ強い人だったりしたらそういうの実行しちゃうのかもしれない。実行しちゃう人の気持ちは決して人ごとじゃなかった。

とにかく言いたいこと。鬱病はホントに「病気」です。気の持ちようなんかでコントロールできない。
(とはいえ、「薬」で治す、ということにはもっと否定的なんだけど)
人によっては「甘えている」と言いたくなるのかもしれないけれど、苦しんでいる当人はまさに地獄。大げさじゃなくて「死に至る病」です。

そしてそんな酷い状態から、今の自分に戻れた(戻れたどころか、たぶん、4年前の11/15以前よりもずっと元気になっている)のには本当に多くの人の助けがやっぱりあったのだが、その謝意に関してはまた項を改めて書こうと思う。

posted by おーゆみこ at 21:39| Comment(0) | TrackBack(0) | ■しあわせであるために | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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