2014年12月31日

2014年、私は「大殺界」の真っ只中で何もかも上手くいかない最悪の年だった………

2014年、私は「大殺界」の真っ只中で何もかも上手くいかない最悪の年だった………

…らしい、細木数子によれば。

ところがどっこい、真逆なことに、めちゃめちゃついてて、アイデアは溢れてくるし、何事も概ね期待通りに上手く運ぶし、電車は私のために運行してくれるし(^^;;私の前の席は必ず空くし、ふと惹かれて入ったレストランなども軒並み「当たり!」だし、宝くじは1万円も当たるし、仕事は増えるし、TOEICで高得点取るし、雨には降られないし、糖尿病かもと怯えて受けた血液検査でもむしろ超良好!な結果が出たし、PCも楽器もお金かからずに修理できたし、あらゆる瞬間が「ラッキー!!」だった。怖くなるほどである。仕上げに忘年会でも大勢でのじゃんけん勝負にサクサク勝って高額?賞品ゲット!
どんだけ。

なんども書いているが、2010年の11月15日、東日本大震災に先駆けて(?)個人的大震災に見舞われてから、ほぼ3年間、私は基本的に鬱だった。鬱「状態」を通り越して立派に「鬱病」だった。
その頃の感覚を、もはや実感としては思い出せないが、事実としては忘れることができない。苦しくて苦しくて、本当に死にたかった。もう楽しい日々など二度とやって来ず、このまま老いてますます苦しくなって朽ちていくのだとしか思えなかった。
2012年秋から2013年冬までの1年余が一番酷かったんだなあ。時々悲痛な叫び…「天使よ、どうか助けて!助けて!」というのが日記に残ってる。でもそれ以外は殆ど何も書いてないから、どう過ごしていたのか具体的にはもうわからない。毎日がただ苦しく、変化もなく、地を這うようだった。

でも2014年、大殺界の真ん中のはずの年になってから、徐々に元気になり、最終的に実家に出戻ることを決意してからはさらに安定し、そして6月、それを実行してからは人生は一変した。

こんなにも世界は明るかった。こんなにも私はエネルギーを持っていた。こんなにも愛は溢れていた。

感謝は尽きない。
まずもって、父が81歳にして元気で、まだ仕事もして自立していて、考え方もリベラルで、性格も穏やかで、私と気があって、一緒に暮らして幸せである、というのが一番。
私の窮状を知って、まず最初に、「姉ちゃん大船に戻って来れば」と言ってくれた弟にも感謝。自分が多少なりとも不便になることを覚悟でそう言ってくれた(もっとも彼としても私が父のそばに居るのが安心なのだろう)。その当時は無理だと思っていたが、やっぱり彼は正しかった。弟は概ねいつだって直観が正しい。

そして鎌倉、大船、湘南、という土地の良さ。気候もいいし自然も豊かで、かつ便利!
日当たりが悪いと懸念していたわが部屋も、引っ越してきてみれば、東側の窓が美しく大好きになった。

そしてもちろん周囲の人々への感謝も尽きない。
全ての人に感謝しているので書ききれないが、ありえないほどの厚情で経済的にも精神的にも私を支え続けてくれた女神様こと千代子さん。荻窪時代から仲良くしてくれて、今はまたしても御近所になれたりっちゃん。瑠璃姫さんやcanonさんをはじめ、ネットで知り合った関係なのにやはり支え続けてくれた多くの方々。鬱病時代役立たずでなにも仕事しなかった私を見捨てず何かと気を配ってくれたサンバの仲間たち、同じく職場の人たち、生徒さんたち。旧友たち。そして新しく知り合った方々。

みんな、ありがとう!本当に、ありがとう!

大殺界なんてとんでもなかったよ。大愛界?だった!

ちなみに、Yahooの0学占いとやらでも2014年は「0地点」すなわち「最低」だったよ。でも、「新たな始まりの地点」と思えば合ってなくもないのかも。月で言えば引越しした6月が0地点だったしね。最低中の最低、つまりまさに「底を打って」私は急浮上したんだな。

少し時間はかかったけど(もっとも鬱病では10年20年苦しむ人もザラではないから、3年なんて超素早いクチかも)天使は私の求めにちゃんと応じて私を助けてくれた。苦しい時代の辛さを思って今の楽しさがますます輝いて見えるし、やっぱり天使は常に私のところにいるんだな。

これからだって辛く苦しいことはまたあるのだろうけれど、たぶん私はまた天使と世界を信頼していけるだろう。


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posted by おーゆみこ at 23:34| Comment(0) | TrackBack(0) | ■しあわせであるために | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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