fuyumameさん、コメントありがとうございます。
本来お返事はコメント欄ですべきでしょうが、ここからまた書きたいことが出てきてしまい、短く書くと誤解を招きそうでもあるので(なにしろ短くまとめるのが苦手…(^_^;))、
お返事の形を借りて、またひとくさり書かせていただこうと思います。
そうですね。サンバを歌って一応はメインの歌手にしていただいているし、ライブもやって(きのうは残念ながらちょっとお客さん少な目だったけど…(; ;))、人前でスピーチしたりする機会も多く、まあまがいなりにもリーダー格のはしくれともなっていて…。
私って、すごーーい。
…なーーんちゃって。
正直なところ、もちろんそういう自分自身のあり方を卑下しているわけではないのです。内心本気で「私って、けっこうやるじゃん?」なんて思っておる。おほん。
でもね、ようするに私は今の今まで、もっともっと「うぬぼれて」いたんですよ、きっと。私はもっとすごいはずだ、って思っていた。
しかもその「すごい」の中身は、やっぱり、世間で言う「ひとかどの」地位とか名声ってことだったんでしょう。
まあ若いうちはそのくらい大志とか夢とかいったものを持っているのも悪いことじゃないんでしょうけどね。けれどどうもいまひとつ根性がなく、基本的にしんどい思いをあまりしたくないためにここぞというときに楽な道に流れ流れた結果、当然ながらなーんにも「大きなこと」を成し遂げるようなことにはちっともならなかった。かといってうぬぼれ続けているから「地道に」まじめにやって、地味ながら大切な仕事を成し遂げる(子供を産み育てるもそれに含まれる)ことすらもしてこず。
あれやこれやに支離滅裂に手を出したり執着したりしている内に、わやくちゃになってしまったなあ、と思ったわけです。
そういう気持ちが、40の大台に乗るあたりから出てきて(つまり、持ち時間が減ってきたことを意識し始めたあたりから)、その後はかなり頻繁にさいなまれるようになってしまったのですなあ。
でも、やっと最近になって、本来の意味(=明らめる)での「あきらめ」が分かるようになり、自分の分というものが納得できるようになってきました。
しかもそれは決して「挫折感」ではない。うぬぼれて抱いていた夢のような大志のようなもの(夢や大志と言い切るにはあまりに漠然としている)がそのままの形で具体化はしなかったにせよ、そうやって生きてきた年月が無駄だったとか、なにもならなかったとか、今は思っていません。
いわゆる世間的な名声や地位や財産に目をやっていると、私がいまやっているようなことはほんとにアホらしいことばかりに思えてしまいます。まあそういうふうに外から私を見るひともいることでしょう。
けどfuyumameさんが言って下さったように、憧れちゃう、なんて思って下さるひともいて下さる。
ちょっと話は飛ぶようだけれど、少し前に書いたように、地位や業績があって自分の「夢」をかなえても、自殺するほど苦しむ人もいて、人間、なにが意味のあることなのか、一概に決めることは決してできない。
私はだれかのことを「成功していて羨ましい」と見ているけれど、その人の内実も分からない。そして別の誰かが私のことを「憧れちゃう」などと言って下さるけれど私自身忸怩たるものを抱えていたりもする。
途中を飛ばして結論に飛ぶと、自分で自分に満足するしか、幸福である条件はないってことなんです。
これこれこうだから優れていて素晴らしくて恵まれていて幸福だ、とか、こうだから恵まれていない、あほらしい、なんて、客観的な条件は何一つないのだということです。
だから自分のあり方に満足する(向上心をなくすということとイコールではありません)ことに「決める」しかないのです。
サンバを歌ってライブもやって人前でしゃべれる私。すごいね私って。ほほほ。
…と、自分で思って、自分で評価して、満足する。
で、それをfuyumameさんがして下さったように、他の人が誉めてくれたらばもっともっとラッキー!万歳!ありがとう!嬉しいよ!
ほんと、嬉しいです。このへんはまだスケベ心が克服できていない証拠だけど、それもしゃあない。そんな人間、仙人みたいにはなれません。
誉められたら嬉しいし、けなされたら凹む。なにかうまくいったら嬉しいし、失敗したら凹む。でもそういうことも含めて、肯定して満足し、かつ感謝する。
もっと平たく言えば、イイコトだけおおげさに喜んで、悪いことは可及的速やかに忘れる!という「お調子者」系の態度を「選択」する、ってことですね。
なにか(つまり世間的に評価されるような)を「成し遂げる」ことはたしかに大切で、それを否定するつもりはないですが、日々を幸せに基本的に機嫌良く生きていくことももしかしたら同じくらい大事なことではないかと思うようになりました。
そのプロジェクト(!)に全力を挙げるのも価値あることなのではないか、と。つまり、「全力で機嫌良くする」ということ。
私にはもっとスゴイところがあって(笑)…つまり、自分に必要なメッセージにいつでもちゃんと出会うことができるという特技(??)があります(ああ、メッセージに限らず必要なものや人にも会えるなあ。人生思い返してみると、実はあまり「困ったこと」ってないんですよね)。
今出会っているメッセージは図書館でふと見つけた「ごきげんだからうまくいく!」って本ですが、ようするに上で書いた、「全力で機嫌良くする」ことの価値と原理とノウハウを書いた本でした。今まだ読んでいる途中ですけどね。
私はちゃんと必要なものに常に出会ってきたので、常にベストな状態、なのです。そう信じることにしました。
負け惜しみととる人はとるでしょうが、ほんとにいわゆる名声などがあったりしたら、たぶん私には支えきれなかったのだろうなと思います。名声には毀誉褒貶もセットでついてきますからね。ちょっとけなされただけで思い切り凹む打たれ弱い私には無理。それが無理でなくなるあかつきが来れば自然に名声もやってくる、かも(無理でなくならなければ永遠に名声はこないでしょうがそれはそれでよろし)。
お金や財産も、私の分に合った程度に来ていて、たぶんお金が潤沢だったらもっと私はさぼりまくって何もやらず、自分を向上させようともしなかったのでしょう。お金がなかったからこそ自分自身の中に育てられたものというのもおそらくあり、それはお金と違って容易には失われない財産です。
年齢も同じように私の財産だと思うようになりました。少し前まではまさに「だてに」50年をダラダラ生きてきてしまったと思っていたのですが、「達成した」外部的な業績などだけが価値ではないと思えば、50年分の蓄積はまさしく「だてに積んでいない」ものなのです。
お金はなくても時間はけっこうふんだんにありました。今もけっこうある。忙しいけれど、好きなことをしていて忙しいのですからね。
つまりおかげで、私は「おもちゃ箱」の中で思う様に遊びながら成長している子供のような人生を、それこそ「謳歌」しているのです。
…って、ここまで自画自賛的な書き方をすると反発を覚える方も覚えるかも知れませんが、やっと最近たどり着いた境地とも言え、それでも「悟った」というにはほど遠く、またなにかの加減で不安や不満のただ中に戻ってしまうかもしれないので、今のうちに書いておこうというわけです。
fuyumameさん、コメントをだしに使ってしまったようで申し訳ありません。
でもこれも上で書いた、「私に必要なメッセージがやってくる」のひとつでした。自己中な言いぐさといわれればそれまでですが。
感謝します。ありがとうございます。
2007年11月08日
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私も結局は自分で自分を認めていなければいくら周りで評価してもらっても満足って得られない様な気がします。逆に自分では自信をもっていても周りに評価されないとまたそれもつらいのだろうけど・・・
私もタンボリン、涼しい顔してクルクル回してバシバシ打ちまくれる様に、そしておーゆみさんみたいにポルトガル語でペラペ〜ラ〜と歌えるようになりたいです!
おーゆみさんはね、いつも私達のちょっと先をあるいて
道を歩きやすくしてくれているな、と思うんですよ。
特にNF仲間にとってはね。
この先、いずれ私も同じような葛藤や迷いを経験すると思うのだけど
そんな時、NF先輩のおーゆみさんも沈んでいたなぁとか、
そのことについて、こんな風に言ってたな・・・とか
なんか「気づき」の為の道しるべを残してくれているように思えるんです。
私、今は以前みたいに色々と自分の言葉でゆっくり考えたり
メールで話しあったりする余裕が無いのだけど
その間にも、おーゆみさんが、考えたことや体験した事を日誌で公開して
くれるから、それで補えている部分もあるのね。
さて。仕事に戻らねば。
http://www.ohyumiko.com/kersey/kerseyframe.htm
で性格類型のことも読んでみてね。
きのちゃん
うん。そういうことができていたら嬉しいな、と思う。私はやっぱり自分の使命を、見つけて、伝えていくことだと思っているから。
「導く」とか言うと偉そう過ぎるし、導き過ぎたら相手の「自分で気づく喜び」も奪っちゃうからね、そこまでしないようにしつつ(ってかできない)、迷ったときには「道しるべ」としてそっと助けてあげられるようなものを伝えられたらいいなあ…。