でもね。
歳をとるということは、やはり、失うものを日々感じるということでもある。
それは仕方がないのだ。
折り返したりしない!突っ走る!とか息巻いてみたけれど、若いときと全く同じままであれるわけはない。
ある年齢までは、日々、得るものの方が多く、失うものについてはあまり気にしていなかった。けれど半世紀も生きると、「失うもの」に意識は行ってしまう。
ハタチそこそこのケツも青そうな女の子あたりが
「アタシももう歳食っちゃってさー。オバンになっちゃって〜」
なんぞと言っているのを聞くと、以前は殴りたくなった。
今は殴りたかないが、可哀想に、と思う。
そんな早くから失うものに自覚的になってしまうなんてね。
ま、それは本心から怯えていないからこそそんなふうに軽々しく言えてしまうのだろうな、とは思うけど。(でも言霊ってのはありますぜ!)
たぶん40台になったころは、その失うものに自覚的になったばかりで、圧倒されていたのだ。だが今は、少しあきらめがついてきた、というのだろうか。
それは決して敗北的な意味合いではない。
マイナス要因ばかりに目がいって怯えていたのが、少し冷静になって「失うばかりではない」と気づき、また「失うことも敗北ではない」と思えるようになってきたのだ。
…というか、そうなりたい、と思っている。
これからもっと歳を食い、どんどん何かを失っていく。
そのために、もっと「心を鍛え」なければならない。
失いたくない、とジタバタするのではなく(まあそれも少しは必要だが)
失うことを心穏やかに受け止められるようにならなければならない。
そしてまた、喪失だけに心を支配されるのではなく、それでも、ほんの少しでもまた新しく得ていけるよう努め、しかもそのことにきちんと気づき、それを喜べるようでありたい、と思う。
正直なところ、まだ心はそんなに鍛えられていない。
夜中にふと目覚め、奈落の底に落ちていくような不安を感じることがある。
若いときにはなかった感覚。
でも今からならまだ、これと戦っていくだけの力を心に蓄えることができる、と思う。
だから今、気合いを入れなければね。
たくさん持っていれば喪失の不安を感じない、わけではない。
私はほんとうに、わずかしか(金銭的、あるいは物質的なものに限らず)得てこなかったと思うが、これまで何かを十分に得てきたからといって、そういう喪失の不安と無縁になるわけではなかろう。
あらゆる場面で肯定的であれるように。
前項で書いた、「いい気の流れ」を、何が起こっても、
命つきるその瞬間まで保てるように。
これからが正念場だ、と思っている。
2008年04月08日
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いい気の流れを!
Excerpt: どうも私は理屈っぽくこだわり過ぎるきらいがある。仕事においてはそれが良い作用をもたらすときもあるけれど、こと自分自身に関わる事になると、客観的になれない分、「あ〜これは変な方向へ走ってるな」と感じると...
Weblog: いつもノート
Tracked: 2008-04-10 18:43
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記事を読んだ感想、長くなってしまったのでブログに書いてみました。
おーゆみこさんの覚悟にはまだまだ及ばない甘ちゃんなのですが、日々悩みつつ、、、です。
その記事に対するコメントはそちらでつけさせていただきますね。