2008年04月11日

息を合わせる!

「息を合わせる」
ことの大切さ、に突然気がついた。いやもちろん頭で知ってはいたが、なんだか突然「腑に落ちた」のである。
ものすごいキーワードいやキーフレーズのような気もしてきた。

文字通り
「呼吸を合わせる」
のである。
抽象的な意味合いももちろんあるのだが、もっと具体的・物理的なこととして、呼吸を意識する。

たとえば、ドラマなどで役者の演技を見ていて、上手い、自然だ、と感じる人と、う〜ん、いまひとつ、と感じる人との差は、息づかいではないかと思う。
しかも、演技は自分一人でやるものではない。相手役がある。
相手と呼吸が合っているのが自然な演技に見えるのだと思う。
新人の演技が下手でもベテランがカバーする、という説もあるが、それも実際には難しいことだと思う。新人の方がベテランの呼吸を観察し、合わせていこうとするのでなければ。新人の呼吸はまだまだそれ自体安定していない。ベテランの方がうっかりそれに合わせようとしてしまうと全体のバランスが崩れる。しかし合っていないままだとそれもやはりギクシャクする。全体として、ベテランの方までなんだかヘタになったように見えてしまう。
(NHKの朝ドラがしばしば演技的に辛いのは、新人が「主役」となるからだと思う。脇役のベテランに呼吸を合わせようとする余裕が持ちにくいだろう。おそらく新人は、脇役体験をして、他の役者と呼吸を合わせる、とくに上手い人に合わせていく、という練習をしておかなければならないのではないかと思う。それが乏しいままいきなり「主役」体験をしても、そこではそれが学べないから、その次にも続きにくい)

呼吸を合わせる、というのは、「物理的具体的」ではあるのだが、でも実に微妙な話でもある。もちろん、お互いが完全に同じペースで呼吸をしているわけではない。しかし言ってみれば、全体のうねりとしては一致しているのだ。異なる周波数を持つ異なる音が共鳴したり調和したりするように、ここぞというところで一致しているのである。

呼吸が一致していないと、うねりや周波数がズレてしまい、互いの力を邪魔したり打ち消し合ったりしてしまう。
逆に、呼吸が合えば、うんと大きなパワーが出る。1+1が2にも3にも100にもなるだろう。

音楽でも同じである。
たとえば、何人かで演奏していて、仮に譜面的には全く同じリズムで音を出したとしても、どこかしっくりこないのは、きっと呼吸がずれているのだ。それも本当に微妙なことで、リズムも合っているし、音程も間違っていない、美しく響いている、どこが悪いの?というような状態でも、「呼吸が合っている」状態の時のえもいわれぬ調和感とひとたび比べると、なにか違う、と感じる。
もちろん物理的には、たとえば管楽器奏者ならそもそも呼吸は重要な要素であるが、一見呼吸とは関係ない弦楽器やピアノや打楽器奏者でも、すぐれた歌手や管楽器奏者と同じ呼吸ができたときは、そうでない場合よりいい響き、いい流れで奏することができるのではないか。たとえそういう楽器がソロのときであっても、歌や管楽器にとって一番自然で「歌える」呼吸に倣うのがたぶん一番いいと思う。

前々項で書いた私の、いささかひきこもり系フルートの練習であるが、そういうことを考えると、だれか生身の奏者と呼吸を合わせながらできたらどんなによかろう、と思ってしまう。

しかしたとえ機械相手のソロであっても、上記のように、「一番自然で歌える」呼吸を意識することは必要だし、有効である。
息を合わせることの大切さ、というコンセプトに気づいたのも実はこの孤独な(?)フルート練習中であった。
管楽器だから当たり前といえば当たり前だが、呼吸の仕方を意識することによって演奏の感覚が全く違う。息が正しく(その場にふさわしく)使えると、指すらもちゃんと回るのだ。
呼吸という現象がもつ、不思議、神秘的とさえ思われる力に気づいたのである。
そしてこれが「合った」ら、どんなにか素晴らしいだろう、いや、合わなければいけないのだ、と思った。

呼吸はエネルギー(気)の循環にも十分関わることだからね。

自分一人であっても、正しい、ふさわしい呼吸をすることでいろいろなことが上手く回るのではないかと思った。
そして音楽であれ演技であれ、あるいはその他のどんなことであれ、だれか他の人と一緒に何かをやるような場面では、他の人の呼吸にも意識を向ける。
もっとも、物理的具体的、とは言ったけれど、だからといって「あ、あの人は今吸った、今吐いた!」といちいち観察する、という意味ではなく、「呼吸」をキーワードとして意識して人との関係を見る、というようなことだ。

そして、互いに調整して呼吸を合わせるようにする。
だれかの状態がとりわけ良好で見習いたいようであれば、その人の呼吸を読んでそれに合わせていくようにすればいいし、そうでなくても、互いに意識していればきっと合っていく。逆に、だれかとまどっている人がいたら、少しずつよりそって息を合わせてもらうように導く。

呼吸によって、「いい気の流れ」を自分の中に作り、そして、他と「呼吸を合わせる」ことによって、その「いい気の流れ」を拡大してこんどは自分がその中に入るようにする。

具体的、かつ抽象的な概念ではある。

でも、言語化しておくと焦点を合わせやすい。迷ったらそこに戻ってくるアンカーと言ってもいい。
「私は困らない」
に続き

「息を合わせる」

もそのアンカー的キーワードとなるように思える。
これは自分自身の「技芸」などを上達させるにも(たぶん語学もだ)、人間関係にも、そしてだれかとの共同作業のようなことにも、すべて「効く」と思う。

つまりは、「人生に効く」のだ。
posted by おーゆみこ at 15:17| Comment(5) | TrackBack(0) | ■極私的幸福論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメント、ありがとうございました!

う〜む、「息を合わせる」
基本であり、極意であり、ですよね。

対象(物でも人でも)の雰囲気をつかんで、
寄り添いながら、
でも自分の呼吸は乱さない。

私はそこがダメなのですよね・・・。
複数の呼吸があると、
それぞれに寄り添ううちに、
自分が乱れてグズグズになってしまい、
すると相手も私に合わせようがなくなってしまう、という悪循環。

どうすれば、
自分を乱さず、
相手に寄り添えるか、
日々模索中です。
Posted by itsumonote at 2008年04月12日 07:38
そうですね。
やっぱりまず自分の呼吸をしっかりするのが肝要なんだと思います。
これについてはもう少し書く予定です。
日々「発見」があるので…。
Posted by おーゆみこ at 2008年04月14日 14:01
はい、
日々「発見」、ですよね。

かなしい出来事があったのに、
お返事下さって、ありがとうございます。
Posted by itsumonote at 2008年04月14日 20:00
すっごく的外れなコメントで申し訳ないのですが、
昔、何かで読んだお話。

プロの泥棒は、忍び込んだその家の人たちの横を通らなければならないとき、呼吸を合わせるそうです。
そうすれば、家人は起きないのだと。

ホントかね〜?って思ってたけど、なんだかホントにあり得るような気がしてきました。

すみません、ヘンな話でした!
Posted by 圭助命 at 2008年04月22日 00:11
圭助命さん

そうそう、忍者なんかも気配を消すにはそうするんですよね(聞きかじりですが)。
泥棒さんたちはその能力を他のことに活かして欲しい気がしますが…(笑)
Posted by おーゆみこ at 2008年04月25日 13:48
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