何度も書いているように、我ながら自意識過剰であることをもてあましている。まあ誰でも多かれ少なかれそういうところはあるのかもしれないが…。もう少しそれが押さえられればもっとラクになるのにとよく思う。
「息を合わせる」ことは、当然ながら、あまりに我を張るとできないことである。
息を合わせるために、我を張らないようにする…というより、息を合わせよう、つまり具体的には自分の呼吸に意識を向けてみよう、とするとそれだけでなんとなく我が押さえられていく気がする。
↑本文とは関係ないけど、なんとなく画像もオマケしてみたい気が。これからできるだけ入れていきます。
なにごとにつけ、意外に、「形から入る」とか「具体的に動いてみる」というのが「効く」ことがある。
精神論や理念として行き着きたい境地があっても、精神をコントロールすることはむしろ難しい。
理念を持ち、そこにしっかりと目を向けつつ、なにか具体的な「行動」をする、というのが一般的によいパターンなのではないだろうか。
それは別に私が初めて発見したことではなく、だからこそたとえば宗教などでもフィジカルな修行とかがあったりするわけだ。あるいは声に出してお経やお祈りの言葉を唱えるとか、手を合わせたり指を組んだりして祈るとか、お香を焚いて嗅覚を刺激するとか、そういうことも同じだろう。
話を戻して、「呼吸と自意識」である。
(1)我(自意識)を押さえて→息を合わせる
(2)息を合わせて→我を押さえる
これは両方向ともあることなのだと思う。
だがたぶん、まずは(2)のほうが自分でコントロールしやすい。
自分で自分の呼吸をしっかり意識してみただけで、ほんの少しではあるが、いつも自分が持っている「私が私が」的な意識が少し薄れてどうでもよくなってきた気がした。
なにかのグループの中にいるときなど、どうしても心密かに、自分が目立ちたい、チヤホヤされたい、人より優れていると見られたい…みたいな意識を持ちがちなのだが、そしてさすがにそれが全くなくなったとは言わないが、「そうでなくても(ちやほやされなくても)大丈夫」感がちょっとしっかりしてきたように感じるのである。
我を押さえ、他と協調して、つまり「息を合わせて」いくと、結果として自分もしっかりと「生きる」ことができるのだと思える。
我を押さえて他と協調するから、自分が埋没してしまう…のではないのだ。むしろそれでこそ自分がもっと輝けるのではないだろうか。
そう信じられる。
とりあえずは、ちょっと気持ちが乱れたり不調和を感じたときに、「呼吸!」と意識してみる、ところから試してみたい。


>自分が目立ちたい、チヤホヤされたい、人より優れていると見られたい…みたいな意識を持ちがちなのだが
でも、これって考えようによってはおーゆみこさんの長所となっている部分でもあるような気が…。
>とりあえずは、ちょっと気持ちが乱れたり不調和を感じたときに、「呼吸!」と意識してみる、ところから試してみたい。
そうですね〜。そうすればきっとおーゆみこさんの性格の『いいところ』がさらに大きく膨らんでいきそうですよ。最強だったりして(笑)。
かく申す私は、自分で言うのもなんだけど、短所だらけ…。神経質なくせに気が強いという、神経症に一番なりやすいタイプ^^;。
そんな私が最近試みていることは、「Let it Be」の境地かな。
自意識過剰になって、
自分自身コントロールが利かなくて、
私が私が、て態度に出てしまうとき、
きっと呼吸が浅くなっているんでしょうね・・・。
今はヨガの呼吸法を実践しているのですが、
まだ「私が」状態になったとき、
即、意識を持ってこれず。
でも、
>我を押さえて他と協調するから、自分が埋没してしまう…のではないのだ。むしろそれでこそ自分がもっと輝けるのではないだろうか。
というところ、
同感です。
また自分の中で整理して、ブログに書いてみようと思います。
天使がハープを弾いてるのかしら?
光っているので、ランプなのかしら・・・
素敵ですね。
「呼吸と自意識」
これは、我が事として省みるよりも
「あの人はどうしてあんなに我が強くて強引なんでしょうね。
相談すればいいのに、勝手に決めちゃってさ!」
というような図ぅ・・・が、まず目に浮かび
それから『自分はどうなんだろう?』と
振り返ることができるというか・・・
前の記事『合気道?』とも絡みますが
私もママさんコーラスをやっていて
うまくハモらない時は犯人探し(?)するよりも
まずは自分一人ひとりが丁寧に声を出し
指揮者の指先を見て丁寧に歌う・・・
そういうことなのかなと思いました。
コメントありがとうございます。
うーん、そうですね、何事も「否定しない」というスタンスから言えば、自意識過剰も必ずしも「イケナイ」ことではないかも。
でも自分がシンドイんですよね。
もっと、妙な競争心みたいなものにとらわれずにいられたら、そう、自分がもっと輝くはずだ、と、言ってみればこれも「自己中」な考えであります。
それに「シンドイ」のはヤだもん。私はナマケモノかつ強欲なんで、シンドイのは最小にして、得るものだけはたくさん得たい!のであります。
「神経質なくせに気が強い」だって、決して短所じゃないと言えるかも。「繊細だけれど主張はしっかりできる」と言い換えられますからね。
Let it beの境地になるためにこそ、とっつきやすい「具体的」「行動的」方法を探しています。
itsumonote さん
コメントありがとうございます。
私もついつい忘れてしまいますよ。そうそう簡単には意識を持って来れないですね。でもできるだけ、気がついたら深呼吸!と心がけています。
そう、ヨガとか瞑想とか、そういうフィジカルな実践を伴うものも、たいがいは「呼吸法」を大事にしていますね。やっぱり基本なんだと思います。
LIMITさん
コメントありがとうございます。
この天使の画像は、どこかから拾ってきたのですが大昔のことでもうソースが確認できません。ほんとは著作権とかあるかもしれないけど…(^_^;)。
調和を乱す人、つまりたぶんその人自身が乱れた呼吸を持っているであろう人…にあまりに意識を向けすぎると、自分がつられてしまいがちなのだと思います。それよりも、おっしゃるように、とりあえず便宜的にそれを「無視」して、自分のできることだけを考えて、その範囲で落ち着くようにすると、たぶん他者にもいいオーラ、というか、いい影響を送ることができるのでは。
……言うは易し、ですけどね(^_^;)(^_^;)
悲しいお別れの記事を読みました。お悔やみ申し上げます。
うまくいかないときは、必死すぎて無呼吸になってた、周りの息遣いに気を向ける余裕がなかった...と後で気付いたりします。考えるよりまず呼吸まずカラダから!のほうが自意識過剰のワタシにはなるほどいいかもと思いました。「かもめ食堂」の魅力的な主人公が合気道の達人でしたなぁ、そういえば。「天使に預ける」をMother Maryに変えるとLet It Beになるのかもしれませんね。
コメントありがとうです。
>「天使に預ける」をMother Maryに変えるとLet It Beになる
そうですね。イメージしやすいものならなんでもいい、ってとこありますよ、身も蓋もなく言えば(^_^;)
心を落ち着かせれば、問題があっても適切な解決策が出てくる、見つけられるってことですよね、プラクティカルな言い方をすれば。
こんばんは。
参考にさせていただきつつ、方法論と守護聖人?を見つけようと思います。
…読み返してみて、思わせぶりともとれるような書き方になってました。ごめんなさい。以前メールした者です。