どうせ民放バラエティのことだから「科学的!」という触れ込みをあまり真に受けすぎないように見ようと思っているが、もともと「この手」の話は好きなので、それなりに面白く見られる。
新聞のラテ欄で、「相手がパットを外せば自分の優勝が決まる場面で、タイガー・ウッズは『入れ!』と念じた、それはなぜか?」という番宣があり、それに興味を引かれて録画しておいてみた。
本文と関係なし画像シリーズ かつて悩んでいた時期に同僚のカナダ人男性がタロットで占ってくれたときのキーカード。占い内容は非常にプロミッシングだったし…実際この聖杯の9は小アルカナでは最強らしい…カードも美しかったのでお借りして取り込んでおいたもの
利己的ではなく利他的な行動をする方が自分にいい結果になる、という話かと思ったのだが必ずしもそうではなく、まずひとつには、入るなと念じていたのに入ってしまったらガックリ来て、その後の自分のプレーに影響してしまう、だが入れと思っていれば実際に入ったとしても落ち込まずに実力を出せる、というのである。
これだけ聞くと、「な〜んだ」という感じではある。
だがさらに説明があり、そのさらに基盤となるところで、
「最高の自分をイメージする」
ということが必要なのだという。
つまり、自分は世界最強なのだから、相手のミスによって勝つのではなく、最高の状態の相手と戦ってなお勝つべきだ、と思えというのだ。
タイガー・ウッズの父親はアメリカのグリーンベレー部隊の大佐で、その部隊でも使われているこの「心理学」を幼少時からタイガーにたたき込んだという。
「いまいちな自分から抜け出すための心理学的秘訣はだれにでもできる簡単なものだった−−つまり、つねに理想の自分、最高の自分をイメージすること」
というのがこの番組のこのセクションでの結論である。
解説役として登場していた脳機能学者・心理学者の苫米地英人という先生の曰く、
「絶対にその理想を下げてはいけない」
「相手との競争は関係ない」
この苫米地先生は、調べてみると洗脳とそれを解くことにおいて世界的に有名な方らしい。
だから信じるというわけではないが、たぶんそれはアリなんだろうな、と思う。超自然的、神秘的な話ではなく、人がなにかを成し遂げるのはひたすら「モチベーション」の喚起とその維持高揚の賜物であろう。
実際に一流といわれるアスリートやコンテストで優勝するアーチストなど、「競争」のまっただ中にいて結果を出す人々には、ライバルが強いほどワクワクする、と述べる人がたくさんいるように思う。
ライバルの不首尾や失敗を祈る心理は、ごく普通であるが、それゆえに「普通止まり」なのだ。たしかに、自分の力をこそ高めたい、順位云々はその結果に過ぎない、と健全に思える人なら、ライバルがコケて転がり込んできた優位などには価値は見いださないだろう。
苫米地先生は、なりたい、こうありたいという自分の姿をしっかりイメージすることが大事だという。
たしかに、そういう理想を掲げているとき、目の前の失敗は大きなマイナスではない。たとえそのとき勝つことができなくても、問題ではない。ライバルが先に行ってくれればそれもまたいい。自分はさらに先を目指せる。そう思えばくじけたりパワーダウンしたりする必要もない。
ちょっと興味を持って苫米地英人でネット検索をしてみたら、なかなか興味深いことがたくさん書かれてあった。たとえばここ。
でもこれらは結局、たくさんの人が主張し、私自身もずっと折に触れて書いてきたことと、本質的に同じである。苫米地先生の主張だって、別にいわゆる「科学的」かどうかといえばよく分からない。けれど、論理的にはよく分かる。
以下は苫米地先生の言っていることの要約では必ずしもなく、私自身の解釈であるが…
人間が「現実」だと思っているもの、そして自分の自我とか自己とか思っているものも、実は、過去の経験や社会的枠組み(と自分が認識するもの)からの「推測」、つまりはそれらの投影でしかない。過去は確定した現実であっても(とはいえ、なおその「解釈」は固定したものではないから、過去も現実ではないのかも)、今この瞬間を含めた未来は、「認識の仕方」によって容易に変わりうるものなのである。
逆に言えば、私たちは認識に縛られて可能性を狭めている。
たとえば、あることが自分にとって不可能だ、と判断するのは、過去の経験からの推測に過ぎず、絶対のものではない。しかしたいがいの人はそこでチャレンジをやめてしまったり、あきらめ半分でパワーも出し切れなかったりする。
けれどそういう認識の手枷足枷をはずしたら、意外にも自分で思わぬ力が出たり、思わぬ助けが得られたり、あるいはなにか別のアプローチで実現できる道が見つかったりするのではないか。
「あきらめなければ夢はかなう」
などという言い方がしばしばされ、しかしあまりに手垢がついてしまったが故に、それが揶揄される傾向も大である。
だがたぶんその言葉は真実なのである。
ただし注意深く吟味される必要はある。
冷や汗をかきながら、「あ、あ、あきらめないぞおお」と力んでいるだけではたぶんダメなのだ。
この項、長くなりそうなので一旦中断。

