GWはなんか妙にヒマ。私自身は日曜と月曜がそもそも休みで、学校は「昭和の日」から1週間休みで、というわけで、27日からベタに休みなのである。
(非常勤で日給月給なので嬉しくも何ともない、それどころか来月末のやりくりに今から頭が痛い)。
翻訳の仕事が入ってくるはずなのだが、先方の職場がやはり休みに入っており、その間にネットのメンテナンスが実施されているらしく、メールが送れないという。それで原稿が受け取れず、やはり仕事に取りかかれない。
まあ懸案だった部屋の片付けとか本の整理とか、時間ができたらやろうと思っていたことをやっているが、そしてそれをやれる幸せをしみじみ噛みしめてはいるが、それでもやっぱり、「なんかないかな〜」と思ってしまう。
で、さっき、飲みに行きませんかという誘いがあって、二つ返事で飛びつく。近所の飲み屋だったが素晴らしく美味しいお酒とつまみに大満足。誘ってくれた人は、男厨という雑誌で特集されていたから是非来たかったのだというが、さすが取り上げられているだけのことはある。こういう店が近所にあるのは幸せ。その店についてはここ
でも誘ってくれた人も妻子持ちだし、いつまでもいられるわけではない。他に声をかけた人も仕事がまだ終わらず遅くなるというので泣く泣く解散。
私自身は今日は、連れ合いも泊まりがけで仕事だとのことでさっき新幹線で山形に出かけていき、ますます「自由」なのである。
…で、まだもう少し遊びたいな、と思って……ふと胸がうずく。
そう。こういうとき、ゆきちゃんの美華に行ったのだった。
美華は、基本的には楽しく生きているけれど、でもけっこう孤独を抱えている、…という人のためにあったような店だった。
妻(夫)子持ちも独身もワケありも、この店に来て思う存分リラックスしていたのだ。
来る人はみんな、陰を持っていた。暗い、のではなく、人を立体的にする陰。ただ光を当ててハレーションしてしまうのではなくて。
なんてこったい、と思う。
失ってすぐに、こんなふうに「思い知らされる」なんてね。
…ゆきちゃん自身を含め、本質的に、どことはなしの孤独を抱え、その故に繋がることができた魂たちの居場所が、なくなってしまったことを。
美華連、という名前で、美華の常連さんたちの集まりを少なくとも年に1回はもとう、ということになっていて、そのことはとてもとてもとてもありがたいのだが、でも、日常のちょっとした孤独を癒しに来れた美華はやっぱりもうないのだ。
失ったモノの大きさが、時間によって癒されるどころか、日に日に大きくさえなってしまう。
そういえば…あまりに唐突な連想かもしれないが、かつてJR西日本であった大きな脱線事故の遺族も、時が経っても哀しみ苦しみは決して癒されず、むしろ苦しみは大きくなっている、とさえ調査結果は示しているという。
時がすべてを癒す、は真実ではないのだ。
でも、「時」によって、本質を見通す目は養われる。
そういうことの被害者や遺族には、時が経てば忘れるよ、という慰めではなく、時が経てば、本当のことが分かってくるよ、その本当のことにふさわしい行動や気持ちが生まれてくるよ、と言うべきなのであろう。それはたしかに、事故や事件の直後の混乱しきった感情とはまた別次元のことであり得るのだろう。
…というのはやはりあまりに唐突に過ぎる述懐だったかもしれない。
でも、時が経ったらゆきちゃんのことなど忘れて、思い出しもしなくなる、というのではないのだ、と、私自身の今回のことに引きつけてはそう思う。
思い出すたび、なにかが深化しているのだ。
…しかたがないのでおとなしく帰ってきてこんなよしなしごとを書き付けている酔眼の私である。
2008年05月02日
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今日、車で日帰りで旦那の実家に行き
その車中でCDをかけてたのですが
Evrey Little Thing の Time goes by が
妙に心に残っています。
♪過ぎた日に背を向けずに
ゆっくり時間を感じて
いつかまた笑って
会えるといいね♪
なんだか…自分もそんな気分です。
旦那の家が昨年の中越沖地震で全壊して
今、再建中なんですが…
怪我もなくご近所も皆無事で良かったんですが
街中の景色とか変わりつつあるというか…
「あぁ、無くなっちゃったんだ」という感じ。
嫁の自分がそう思うんだから、
生まれ故郷である旦那や義父母たちの心中は
いかほどか…
でも、生きている…そのことには本当に感謝してます。
失ったモノは、生きている者達によって
引き継がれたり甦ったりするのだなぁというか
そんな感じです。
今更ですが、お見舞い申し上げます。
夕べもけっこう大きな地震がありましたね。
東京では震度3ぐらいでしたが、今回5弱を記録した栃木県茂木町にはつい数日前にとある用事で泊まってました。ガクブル…。
でも本当に、あたりまえに存在していたものがそんなことでなくなってしまうのはショックなことですね。
人間も含め、形あるものはいつかは、なんらかの形でなくなってしまう。それは切ないことですね。
でもそのことを通じて、「なくならないもの」について思いを寄せることができるという気もするのです。たとえば端的に言えば「思い出」。別に「永遠に」残る必要はないけれど、ゆかりのある人々の心に、その人たちが生きている間だけ残る…というのでもいいのだと思いますが。
おーゆみこさんの喪失感みたいなものを、わかったような気になって、
上の記事を書いたのですが、中国の大地震の映像を見て
改めてショックを受けてしまった自分でした。
でも、ゆかりのある人々の心に、その人たちが生きている間だけ残る…
これは私もそう思います。