少し前の日記にも書いたが、仕事運が20年ぐらいずっといい。いい、というのは、タイミングが常にバッチリであるということだ。もちろんそれは収入にも反映されている。なにせ仕事の形態から言ったら安定していないはずのだが、今月はちょっと少なくてやばいな、と思っているときに別の仕事が入ってくるので、平均してみると意外に安定しているのだ(低め安定ではあるが)。
お金になる仕事以外の用事でもまあそうである。ものすごく忙しくなったり、ものすごくヒマをかこつということがなく、「忙しさ」という点ではほぼ一定している。内容はまったく一定していないのに。
このことについて最近思うのは、やっぱり「思考は現実化する」ってことだったり「言霊っつーものはある」ということだ。
仕事のタイミングがいい、ということは私は以前から繰り返し繰り返し、書いたり言ったりしている。公開しているブログなど以外でも何度となく口にしているのだ。そうするとそれは崩れない。20年もその通りであり続けている。
逆にやたらと「ビンボだビンボだ」というからそこから抜けられないのかも(^_^;)。上にも「低空飛行」とか書いちゃってるしねえ。
だが、経済的なことについても、根底には「必要な分は取りあえずやってくる」と信じているところはあるし、そういうことだけは口にしてきた。客観的に見たらかなりアブナイ家計であるはずなのに、なんとか維持できているし、必要だと思うものがあればなんのかんのと言って買っていて、それを買ったことによってその後家計が圧迫されて困ったということもない。それにご存じのように毎週末のように飲んだくれて、安い居酒屋とはいっても毎回数千円は出費しているのだ。
よほど身の程をわきまえない豪遊や贅沢をしない限り、使った分だけはまた入ってくる。ほんとうに欲しい、やりたい、と思ったことにはなんでも心配せずに出費してしまえばよいのだ、と思う。
かくなる上は、やはり、「ビンボだ」とか「低空飛行だ」とか言わないようにした方がいいのかも。実際、実質的に働いている(お金になる仕事に関して)時間の短さやストレスの少なさから考えたら、むしろリッチといってもいいのかもしれない。こんなに楽して、仕事以外に好きなことをたっぷりして、それでも別に爪に灯をともすほどの赤貧ではない。そうか私はビンボではないのだ!!!
「客観的」にはね…。
以前にも書いた「ご主人の収入が半減してしまうと悩み苦しんでいる友人」には、私の具体的客観的経済状況を話したら
「それで大丈夫なの?!」
とマジで心配された。ご主人の収入は半減しても私の収入の3倍ぐらいあるのにあれだけ悩み落ち込んでいる彼女からみたら、私のような状況に至ったら絶望してしまうだろう(もっとも「半減」のインパクトはたしかに大きい。私だって今持っているものを手放すのは、もともと持っていないよりも辛いことだ)。
しょっちゅう海外旅行などをすることができるぐらい収入があればなあ、とはちょっと思う。もう少し広い住まいも欲しい。
だが私の具体的な望みはそのくらいだ。贅沢な衣服を買いたいとは思わない。前にも書いたように、捨てる寸前のものをリフォームしたりするのが楽しいし。
コンピュータやデジカメなどの電子機器は欲しいものがたくさんあるが、それはその気になれば買えないことはない。それをもっと遠慮なく買いたい、とは思うものの、あまりに簡単に買えるようになってしまったら有り難みも薄れ、感動も減ってしまうのでは、とも思う。これは負け惜しみに近い部分はあるが、実際私は、人生の最高の価値はモノではなく心、それも「感動」であると思っている。少々経済的に制約がある方が、そのことによって「手に入れたときのより大きな感動」が「買える」というのは必ずしもこじつけではない。
(それに、買わなくても、必要なものをだれかから戴けたりすることも非常にしばしばある。そういうのはむしろ買うよりリッチなことかもしれない。人間関係という付加価値…いやモノのほうがその付加価値というべきか?……があるってことだもの!)
ともあれ、「しょっちゅう海外旅行ができる余裕」「もう少し広い住まい」(豪邸である必要はない…手入れが大変だもん!)を実現するためには、やはり「思考のパワー」と「言霊」のことをもっと大事にする必要がありそうだ。
「ビンボ」とか「低空飛行」とかの言葉を、たとえ笑いを取るためであっても、使うのはよそうかと思う。実際にそうなのだが、私は、自分のしたいことはそれなりに自由に(感動を失わない程度の自由さ!)出来ているわけで、そのぐらい十分に「リッチ」なのである。だから海外旅行も、この際行ってしまえばいいのだ。行けばその分のお金はあとから補充される。
おりしも、古くからの知人である方から、また海外旅行にいかないかと誘われた。知人といってもその関係は、前の夫がかつて勤めていた会社と取引があった小さな会社の女性社長で、基本的には前夫が親しくしていた人。縁が濃いとは言えない。なのになぜかかつてその方と一緒にギリシャとかの旅行に行ったのである。なぜそういうことになったのか良く覚えていないが…。たしか私が行くと言ったら連れていってくれと言われたのかな?
彼女は経営している会社をそろそろ畳みたいと思っているという。ずっと働きづめだったのでそろそろ何か楽しいことをしたい、と思ったとき、かつてのギリシャ旅行を思い出し、「またどこかに連れていって欲しい」と思ったそうな。
私の方でも、旅行に一緒に行ってくれる人がいないかな、と実は思っていた。かつては一人旅が好きだったが、さすがにちょっとしんどい気がする。
彼女は私よりも大分歳上なのだが、別に贅沢なホテルとか泊まる必要はない、どこでも寝られるのが自慢だし、貧乏旅行楽しい!と言ってくれる。ギリシャ旅行したときも、私の趣味で、列車や船やバスであちこち移動し、行った先で泊まるところを探す、というバックパッカースタイルだったのだが、それが彼女には楽しかったようである。
そういうところは私に任せるので、連れていってくれと言う。私はそういうのを任されるのが実は大好きだ。グループツアーや人任せの旅はつまらないし、そんなのだったら行く気はしない。彼女と私の利害は一致している。
ということで、考えてみれば、着々と、私の思惑はやはり現実化しつつある。そうはいっても現時点ではタイミング的にはほいほい行かれる状況ではないので、その旅行の実現は来年の6月を期している。彼女も会社を畳むにあたってはそれなりにいろいろあるので、そのほうが都合がいいと言うし。たぶんポルトガルとか南イタリアとか、そのあたりに行くことを考えている。
ワタクシはリッチ! したいことはなんでもできる!なんにも心配は要らない!