2015年04月27日

鬱病は心の怪我

あさイチで、鬱病のことをやってる。前にも書いたけどちょっと思ってることを再度書く。

経験した身から言えば(私個人の経験はあくまで一例とは思うが)、うつは病気と言うよりむしろ「心の怪我」。どんなに丈夫な人だって、なにかの間違いで、あるいは不可抗力で怪我はする。弱いとか不摂生とかそれまでの生き方の問題でもない。ただ、そのとき疲弊して弱くなっていたり、体勢が整わず受け身をとりそこなった、ということ。

そして怪我している人を無理矢理頑張らせることはできない。風邪引いている人、ぐらいなら多少頑張ってエネルギーを回しているうちにむしろ治る,ってこともあり得るけど、骨折している人にスキップしろと言ったら大変なことになる。

本人も周囲の人も、「鬱は誰でもなりうる心の怪我だ」という認識をするのが大切だと思う。そして怪我をしている人には相応のケアや、助力が必要。鬱の人も恥ずかしがらず助けを求めるべし。

たぶん問題点の一つはここ。多くの人が、鬱病を恥ずかしいと思い、カミングアウトできない。家族すらも身内のそれを外部に言えない、らしい。

私の場合は初めから大宣伝(?)(^_^;
それが良かったんだと今は思う。沢山の人に助けて頂いた。沢山感謝も出来た。とはいえ一進一退で3年かかったけどね。

ただやはり、仕事上ではそう簡単にカミングアウトもできない。いや、職場の人間にはしていた。とても理解のある方たちで、色々配慮してくれたのが本当にありがたい。けれど英語講師という仕事柄さすがに生徒さんたちには言えない。言えないどころか、ほがらかを装わなければならない。作り笑顔を貼り付けて授業。苦しかった。当時の生徒さんには申し訳ない。ほがらかに振る舞うようがんばったとはいえ、生き生きした授業、というわけにはいかなかった。

とはいえその他の部分では隠し立てはせず。まあ本来が皆様に呆れられるほど赤裸々になんでも報告したいという性癖なので(ご存じのように)。

というわけで、再度言うが鬱は「心の怪我」(あくまで、心の病気、というのとちょっと違うの)。気の持ちようなんかではないし、心が弱いからそうなったのでもない(もっとも快復力には基本的な「心力」の差があるかもしれない)。

怪我だと思って相応の治療とケアと助力を考える必要がある。

ただし有効なのは薬ではない。薬はむしろ悪化させることが多い。鬱が長引いている人はたぶん薬のせい。
そもそも私は身体的怪我でも滅多に薬は使わない。擦り傷も消毒もしないのが最近は常識になりつつあるでしょう。水で洗うだけであとはラップで包んでそのまま放っておく。じくじくしてきても気にしない。それは治癒過程。そうすると跡も残らず早くキレイに治る。
骨折しても鎮痛剤や塗り薬は最小限。最初の1〜2日だけ安眠のために使うけど、あとは医者が出してくれても無視。それでやっぱり予想より早く治って医師に驚かれた。

緊急事態としてはもちろん薬を含めた治療を考えるとしても、それはあくまで緊急のものとしっかり意識する。

ただ、身体的「怪我」の場合と同様、ある程度回復してきたらリハビリをする必要も出てくる。いつまでも休んでいたらむしろ機能は回復しなくなる。その見極めは難しいけどね。まだ折れている腕を使わせてはいけないけど、骨がついたらリハビリ。

まあ、心の本来の強さ弱さとか不摂生とか関係ない、と書いたけど、それは全く関係ないというわけでもないかな。上に書いた、回復(自己治癒)するための基本的力というのは意識して養っておく必要があるかもしれない。たぶんそれは正しい栄養をとるとか、運動不足にならないとか。

「気の持ちよう」もその、基本的力を養う、という段階において重要。笑顔が大事と知る。感謝がすべてと知る。世界や人への信頼を培う。

身体的病気や怪我も同様、それは、自分の生き方を見直す機会となり得る。どこかが間違っていたので、それを修正して、よりよい世界を得直す。恩恵、なのですよそれは。


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posted by おーゆみこ at 10:10| Comment(0) | TrackBack(0) | ■しあわせであるために | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月19日

当たり前のことに幸せを見つける

ここのところやたらめったら出てあるいてる私。いや、ここのところってより、こっちに引っ越して以来ずーーっと完全にon the goモード。

引っ越してきて、まだ1年経ってないって我ながら信じられない。3年分ぐらいに活動した気がする(まあその前に3年分澱みきってた時期があるわけだけど、これで相殺?)。

そして改めて、この地元の素晴らしさを再認識する幸せな事態。
他にも書いたけど、便利さと自然の豊かさ、海と山、素朴さとオサレさが完全に共存してる奇跡の?土地。
観光地に隣接しているけど庶民的。
引っ越してくるまで、吉祥寺とかに未練あったけど、今はまるでない。

車に乗る人ならもっとそうなのかもしれないけど、私にとっては電チャリ、そして超便利な鉄道網があれば、もはや鎌倉も湘南も、葉山も逗子も、横須賀も、横浜も、そして小田原とか箱根とか伊豆までもなんかテリトリーな気分だし。

それでいて毎日立川まで通っても苦にならないし、渋谷新宿、東京、上野も抵抗ない。行動半径の広さは生涯で最高になってる。

でも、そんな出歩かなくても、大船にいるだけでも日々満足できる。昼間は大自然?を堪能しても、ナイトライフもまた素晴らし。居心地のいい素敵なお店がたっくさん!

でも超安い食材を買って料理するのもまた楽し。

昔から大船に住み続けてた人たちがうらやましくもあったりする。

でも!
こんなに今、ここの良さを堪能できるのも、一度は外に出たからなんだよね。こないだずっとこちらに住んでる人たちと花見したけど、あまりその恩恵にピンと来てないようだった。私は彼らに向かって力説しちゃったもんね、大船にずっと住んでるってのはすっごい恵まれた幸せですよっっ!って。

私自身、ここに住んでた小さい頃、若い頃、全く分かってなかったもの。当たり前なものにはなかなか有り難みを感じないものなのよね。

私は実は高校卒業後、一時横浜市立大学に通ったんであります。でも物足りなくて。学業が、ではまーーったくなく、遊ぶ環境が!(^^;;
横浜市立大学は金沢八景にあるので、大船からは逗子に下って京急に乗り換えて、と、とにかく田舎を行く。それがつまらなくてつまらなくて。たまに横浜に出るけど、それでも不満だった。

おら東京さ行ぎでぇー。

てことで無理矢理受験し直したわけで、より高い学問環境を求めたなんてことではまるっきしなかったのであります(^^;;(^^;;

ま、でもそれはそれで楽しくて、若い頃の私は浮かれて東京さ通い、結婚して大喜びで荻窪に住み、ついこないだまで、中央線沿線がサイコー!一生住む!と思ってたのでありました。

いや、中央線もいいよ。いまでもいいと思う。(今日はこれからその第二の故郷中央線仲間中心のBBQ@小金井公園だし)。

でも大船の輝き(私にとって)には負ける。ほんと、外に出たからわかる良さ。
鬱になったからわかる、小さなことの有り難みと同様、人間はそういうもんなんですな。
当たり前のことを見直すってのが、とても大切かもしれないね。


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posted by おーゆみこ at 10:59| Comment(0) | TrackBack(0) | ■しあわせであるために | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月10日

誕生日。なにもない豊かな自分。

誕生日。

この1年はめちゃめちゃついてて絶好調で楽しかった。
けど何度も書いてるように、その前3年半ほどは、多少の浮き沈みはあれど基本鬱だった。いわゆる「鬱病」で投薬治療を受けていた。
しかし考えてみると、とある人生の大激震を機としてなってしまったその鬱の時期だけでなく、多分その前からずっと私はあまりシアワセでなかった。
「人生の大激震」だって突然起こったのではなかったのだ。いってみればずーっと地盤はズレ続けてたから。

孤独だったし、虚しかった。ずっと。
多分、40歳になった頃からではなかろうか。
40という歳にインパクトがありすぎた。「不惑」どころか迷いの始まり。人生80年として、その「折り返し地点」のはず、これまでの人生を思い、自分のなしてきたことの集大成を視野に入れ、終わりに向かっての準備し始める歳(と思っていた)。

のはずだが、私はなにを成した?

……なにひとつない。

別段職業上のアチーブメントじゃなくたっていいんだろうが、子供を産み育てるという「当たり前の人生(と多くの人がおもうであろうもの)」すらしなかった。普通に会社なりに勤めて、そこそこの給料やらボーナスやらもらって自分一人ぐらいならなんとか食べていき、子供がいないならその分浮いたお金でちょっとした家でも買って老後に備える、とか、そういうこともできなかった。貧乏でも気ままに旅にでも出て経験を積む、ことすらままならなかった。サンバやら音楽活動をやっていても、ものになっているわけでもなく。サンバチームでもかつては私は中心にいたのに、仕事やらお金やらの絡みもあって前ほどどっぷりになれずにいるうち、どこか疎外感を覚えるようにすらなっていた。
気がついてみたらいい歳こいて、金ない子供ない地位もない、「なにも成し遂げていない」中年の自分がいて、おまけにその頃はパートナーがいたとはいえ、生涯をともにする覚悟が私の方でできずにいたうちに、今から思えばすでに心はお互いに離れ始めていた。
それでも「なにもない」自分を思うほどに、パートナーを失うことは一番怖かった。お金のことでは大不満があり(私もたいがい低収入だか、奴はさらに収入なくヒモ同然だった)頻繁に喧嘩をするが、離れられなかった。しかしそれは単なる執着であり、そこに愛はなかったのだろう。

ところがそういう悶々とした40代を、不満があるくせに改善の努力もろくにしないままダラダラ過ごし、50になり、ますます不安になり、でもダラダラし続け、52歳の11月に恐れていた通りにパートナーまでもを失った。

「私にはなーーんにもない」

私は絶望した。
かつて色々あって最初のパートナーを失ったときもそう思ったが、まだまだその時は若かった。やり直せると思ったし、さほど落ち込みは続かなかった。

でもその「若さ」もない今回はもうやり直せない、と思った。このまま年老いて、さらに失うばかりで、惨めに孤独に、なにもなさなかった人生を終わるのだ、と思った。

そして「健康」すら失いかけていた。

その後のことについては今までも買いたし、また書くつもりだか、そういう「なんにもない、なにもなしていない」思いによって生きる意味すら見えなくなった時期を経て、今は再び明るい世界を取り戻した。

けど、「なんにもない、なんにもなしていない」については以前の今も、言ってみりゃさしたる変わりはないのである。

けれど違うことは。
ないものを嘆かず、あるものを心から喜べるようになったこと。「ない」ことにしか焦点が向いていなかったのに、ちょっと視点をずらしたら、実は私はずっと豊かに「持って」いるのである。

そして。「なにかをなす」必要なんて実はありゃしないんだ、と分かったこと。よく結果が伴わなければ意味がない、とか言うが、私は逆だと思う。結果はどうでもいい。というより、結果なんて生きてるうちにはわからない。結果と見えるものも道程の一部でしかない。それがまたどう転ぶかわかりゃしないのだ。人生にはプロセス「しかない」のである。

もう多分20年近く前、詩人(かつミュージシャン)の明川哲也さんが若者向けのの人生相談のコーナーで、将来何になったらいいのかわからない、という少年に、

「何になるか、よりも『どういう人間でありたいか』を考えよう」
というような意味のことを書いていて感銘を受けた。
そして、「友達に誘われたらできるだけ断らない」とかいうレベルの、自分のポリシーを百個位書いてみたら、とアドバイスしていた。

それを私もやろう!と思って結局やらずじまいだったが、この機会にやろうかな。

ともあれ、そう、何になるか、何をなすか、ではなく、どういう自分でありたいか、どういう日々を送りたいか、なのである。しかもそれは、外部のなにかに頼ったり執着したりすることでなく、自分が決めることによるのだ。

そう思ったら私の苦しみは消えた。
私はいま、ほぼ、ありたい自分であれている。
ものやお金や人々が、来ることもあれば去ることもあるが、適当に放っておいて、ありたい自分、だけを大事にしていると、自然と悪いようにならない。

なんと私は豊かであることか。

57歳の誕生日。
我ながらめでたい。めでたい。
生きていることがありがたい。




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posted by おーゆみこ at 14:11| Comment(0) | TrackBack(0) | ■しあわせであるために | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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